突然目の前に現れた七瀬は、ものすごく申し訳なさそうに一言呟いた。
「ごめんなさい、和馬くん。私、ユーレイになっちゃったみたいです」
それはある真夏の昼下がり。
久しぶりに再会したクラスメイトは、ユーレイになって俺の目の前に現れた。
* * *
それは間違いなく七瀬だった。
危うく忘れかけていたが、高3のときのクラスメイトの七瀬妃茉莉(ななせひまり)だ。
色白で華奢でおとなしくて、そしてどこかはかなげで。
そりゃ確かにユーレイにピッタリな雰囲気だろうけど、だからってなんで本当にそうなっちまうんだ。
体が物をすり抜けるとか、姿や声がなぜか俺にしか分からないとか。
そんな疑いようの無い事実を見せつけられてもまだ、どこか信じられない気持ちだった。
だってそうだろう、目の前にいる七瀬はどうしたって普通の人間にしか見えないんだから。
一度頭を冷やそうと、俺はすっかりぬるくなった麦茶を一気に飲み干した。
「お前の事情は分かったけどよ、なんで俺なんだ?」
同じクラスだったが、七瀬とはほとんどしゃべったことがない。
もちろん卒業以来会ってもいねぇから、こんな形での再会に戸惑わずにはいられなかった。
そんな俺の気持ちとは裏腹に、七瀬は頬に手を当てて困ったように首をかしげる。
「そうですよねぇ」
まるで他人ごとみたいな言い方だ。
「俺、お前になんかしたか? 恨まれるようなことなんてなにも……」
そこまで言って、俺は不意に言葉を切った。
思い返してみれば、俺は七瀬の葬式に出ていなかったじゃねーか。
「あー。その、さ。葬式出られなくて悪かったな」
こんなことを死んだ本人に言うのも変だとは思ったが、他に心当たりがない。
歯切れ悪く謝る俺に、七瀬は慌てたように頭を左右に振った。
「ううん、違います。別に和馬くんのことを恨んでいるとか、化けて出たとか、そういうん じゃないんです」
部屋の隅っこで小さな体をさらに小さくして、七瀬は申し訳なさそうに言葉を続ける。
「それに和馬くんは留学準備でアメリカにいたのですから、仕方ありません」
あまりにさらりと言われたんで、うっかり聞き流すところだった。
「なんで俺がアメリカにいたこと、知ってんだ?」
卒業してからはみんな忙しいだろうし、留学のことは聞かれない限り話すことは無かった。
だから留学準備でアメリカにいたことも、今一時帰国していることも、知っている人間はかなり限られているはずだ。
「あ、その、それは……。ご、ごめんなさい!」
七瀬は慌てたようにオロオロすると、とうとう頭を下げて謝りだした。
「実はみなさんで空港に見送りに行く予定だったんです。 和馬くんは留学のことをあまり話さなかったので、それなら絶対に内緒にして驚かせようって」
「そう、だったのか……」
初めて知ったその話に、俺はちっとばかり感動しちまっていた。
「みんな俺のことなんてもうすっかり忘れちまってるかと思ってた」
「そんなことないです! クラスメイトがアメリカ留学するんですもの、 みなさん自分のことのように嬉しく思っていたんですよ。 胴上げをやろうとか、餞別は何にしようとか、いっそアメリカまで着いていくかとか、 みなさんとても楽しそうでした。でも……」
七瀬は窓の外の、青く高い空を少しまぶしそうに見上げる。
その横顔がものすごく寂しそうに見えた。
「でも、私がこんなことになってしまって、 せっかくの門出のお祝いもできなくなってしまいました」
そうして七瀬はまた、ごめんなさいと頭を下げた。
「つまりお前はそれを謝りに来たってわけか」
そう結論付けて納得しようとする俺に対して、七瀬はどこまでも他人ごとのように言葉を返す。
「やはりそうなるのでしょうか」
「他に俺のところに来る理由がねぇじゃねーか」
「そうですよねぇ」
だんだんと真剣に考えるのがバカらしくなる。
そんな七瀬の対応に、俺は少しいらついていた。
「お前さ、ユーレイになるからには、成仏できねぇそれなりの理由があるんだろ」
「それが、さっぱり心当たりがありません」
「本当に分かんねーのかよ」
ほんの少し、軽く息を吸い込むだけの短い間をおいて、七瀬が再び口を開く。
「分かっていれば、和馬くんにご迷惑をかけるようなことはしません」
その一言には、凛とした強さがあった。
相変わらずふわふわと笑っているけれど、絶対に譲れない目をしている。
そんな揺るぎないまなざしに、俺は不覚にもドキリとさせられた。
〜 続く 〜