「どうするもこうするもねーだろ。今さら俺になにができるんだ」
吐き捨てるようにそう答えるのが精いっぱいだった。
せいぜいいい気味だと笑えばいいさ。
今の俺じゃ無力すぎて、妃茉莉をアメリカへ連れていくことなんかできやしないのだから。
しかしなぜか尽は俺の言葉を聞くや否や、驚いたように目を丸くした。
「それどういうこと。まさかねえちゃんを見捨てるつもりなの」
「はぁ? 見捨てられたのはこっちの方だろ。お前がそう仕組んだくせに」
思わず責める口調で反抗すると、ますます尽は驚いた顔をして、今度は黙り込んでしまった。
しばらくそうしてなにやら考えていたが、やがて降参するように軽く両手を上げる。
「まいったな、話が全然見えないや。そもそも俺が仕組んだって、なにをさ」
分かりきったことをわざわざ聞いてくるなんて、 俺の口から言わせてさらにみじめな思いをさせたいのだろうか。
考えが読めなくて警戒心だけが強くなる俺に、尽は軽くため息をついてから、冷静に口を開いた。
「それともう一つ。一体誰が誰を見捨てるって言ってるんだ。 さっきから話が全然噛み合わないんだけど」
「だからそれは……」
そう言いかけて、俺は後に続く言葉が見つからなかった。
尽は妃茉莉を日本に残らせたいはずだ。だからこれは尽の望んだ展開。
それにしては、さっきから尽の言動が矛盾しているように見えるのはなぜだ。
「だってお前、家族で一緒に暮らせるように話つけたんだろ。 だからあいつは日本に残るって、そう俺に言ったんだ」
頭の中を疑問ばかりが駆け巡り、 俺は意味も分からずただ素直に尽の問いに答えるしかなかった。
そんな俺とは対照的に、尽はいち早くなにかを悟ったような顔をする。
「あぁ、そう。まさかとは思ったけど、やっぱりそういうことか」
それから、状況が飲み込めず未だぽかんとしている俺に、あまりに突拍子もないことを言い放った。
「それさ、むしろねえちゃんに仕組まれてない?」
「え?」
尽はどこか呆れたような顔をして、仕方なしに言葉を付け足す。
「スズカはねえちゃんを信用しすぎ。だから簡単にコロッと騙されるんだ。 言っておくけど家族で暮らすなんて話はしてないし、ねえちゃんもそんなつもりないよ、きっと」
「マジかよ……」
こうなってくると、どこまでが本当でどこからがウソなのか分からなくなってくる。
あんなに幸せそうな顔して嬉しそうに笑顔を見せて、それが全部ウソだったなんて信じたくない。
――あぁ、だけど。信じたくないけど……、でも妃茉莉はいつもそうだった。
いつだって悲しみや辛さ全部を笑顔で覆い隠して、自分の本心を見せようとしない。
追い詰められて苦しい時ほど、あいつはそれを隠して笑って見せる、そういうヤツだった。
「俺は別にねえちゃんを日本に引き留めるつもりなんかないよ。 スズカがねえちゃんを悲しませないならそれで良い。 もっともこのぐらいでスズカがねえちゃんをあきらめるって言うなら、 しょせんそれだけの男だったってことだろ。そんなの最初から知っていたし、 今さらどうとも思わないけど」
皮肉を込めた言葉は胸にグサグサと突き刺さったけれど、不思議と痛みは感じなかった。
そう、尽の言葉は裏を返せばまだ妃茉莉を取り戻せるチャンスがあることを教えているように思えたからだ。
わずかでもまだ可能性があるのなら、こんなところで腐っている場合じゃない。
自然と握りしめたこぶしに力が入る。
「ところでさ。お節介ついでに聞くけど、ねえちゃんが日本に残るって言い出したのはどういういきさつだったわけ」
不意打ちで痛いところを突かれて、情けないがさっき取り戻したばかりの力が抜けそうになる。
「それ、は……。えっと、なんつーか、……俺が誘った。 このまま日本に置いていけねーから、一緒にアメリカへ行くかって」
「…………。本気でねえちゃんとアメリカへ行く気あるのか、それ」
冷ややかな視線を投げつけてくる尽に追い詰められて、俺は思わず一歩後ずさる。
「あー、分かってる、分かってるさ! まさか断るなんて思ってなかったからちっと高をくくってたんだ。 ――そう、ウソついてまで断られるなんて、思ってなかったんだ……」
そうまでして妃茉莉が日本に残りたかったのはなぜなんだ。
――いや、そうじゃない。
妃茉莉はウソをついてでも俺と一緒にアメリカへ行きたくなかったんだ。
きっと俺の迷惑になるとか邪魔したくないとか、そんなくだらない理由なんだろう。
日本に残れば本当に一人ぼっちになっちまうのに、それでも俺への負担を考えて自分を犠牲にする未来を選んだ。
妃茉莉が本当に天秤にかけていたのはこれだったんだ。
「わりぃ。俺、帰るわ」
それさえ分かれば突破口は開けたも同然だ。
居てもたってもいられなくて、俺はすぐさま走り出そうとした。
そんな俺を引き留めるように尽がバスケットボールを投げてよこす。
「スズカも知っての通りねえちゃんは相当頑固者だから、ウソがばれたぐらいじゃ簡単には折れないよ。 それなりの覚悟で挑まないと返り討ちにあうから」
「あぁ、知ってる。あいつを説得するのはこれで二度目だ、うまくやるさ」
俺はにやりと不敵に笑い、尽からのボールを受け取った。
せいぜい頑張れよ、と気のない言葉を返す尽を背に駆け出そうとして、ふと思いとどまる。
「尽は俺が妃茉莉をアメリカに連れて行っても良いのか」
念のためにこれだけはきちんと確認しておかなきゃいけないと思った。
よほど意外だったのか、尽は驚いたようにこちらを見ると、肩をすくめて小さく笑った。
「さっきも言ったけど、ねえちゃんが悲しまないなら日本に残るんでもアメリカに行くんでもどっちでも構わないさ。……まぁ、だけど。スズカがどこまでやれるのかは、ちょっと見てみたいかもね」
出会ったときからずっと俺を否定し続けていた尽からの思わぬ言葉は、 自分の信じる道を突き進むのに十分すぎた。
「サンキュ!」
俺は礼もそこそこに、妃茉莉のもとへと走り出していた。
〜 続く 〜