アクシデント 〜for.和馬7

ぼろぼろと涙をこぼして、あいつが俺を睨み付ける。

「ひどい、ひどいよ!  こんなのあんまりだよぉ!!」

ラッピングされて、ご丁寧にリボンまでかけられた箱は、 見るも無惨につぶれてしまっていた。

それを大事そうに胸に抱えながら、あいつはずっと泣きじゃくったままだ。

「だからこうして謝ってんだろ。 俺にどうしろって言うんだよ!」

謝ったぐらいであいつが手にした箱が元に戻るわけじゃない。

そうだと分かっていても、どうすれば泣きやんでくれるのか、 考えたってなにも思い浮かばない。

だいたい女に泣かれるなんてそうあることじゃねぇから、どうすりゃ良いかなんて知るわけがない。


困り果てて、俺はふぅと軽くため息をつく。

どう見たって、誰かからもらったプレゼントなんだろう。

こんなに泣いているってことは、 よっぽど大切な人からもらったものに違いない。

だけど、そう思えばなおさら、こいつの軽率な行動が腹立たしかった。

「だいたいよ、ボールが飛んできたからって、 なんでそれでかばおうとするんだよ。 そんなことすりゃこうなることぐらい分かるだろ」

確かに俺がミスって投げたボールが原因なのは分かってる。

だけど、別にわざとやったわけじゃねぇのに、 さっきからこいつはちっとも泣きやまない。

それどころか、キッと鋭い視線で睨みつけてきやがった。

「和馬くんのバカ!!」

唇を噛みしめると、あいつは手にした箱を、 力いっぱい俺に投げつけてくる。

「痛ってぇな。八つ当たりすんなよ、まったく」

それを拾い上げながら、 泣きたいのはこっちの方だよとグチりたくなった。

なんでこいつがもらったプレゼントで、 俺がこんな思いをしなくちゃいけねぇんだ。

本当だったらこのままゴミ箱に捨ててやりたいぐらいなのに。

俺はそんな不純な思いをグッとこらえ、あいつに向かって深々と頭を下げる。

「ホント、悪かったと思ってる」

「…………」

あいつはなにも言わなかったけれど、もう俺を睨むことはしなかった。

ただ涙で濡れた瞳を伏せて、悲しそうにうつむくだけだった。

こんな表情をされるぐらいなら、 まだ怒鳴り散らされた方が何倍もマシだったかもしれねぇ。

そんなことを思いながら、俺は手にした箱に視線を落とす。

「まぁあれだ。中身が無事なら良いんだろ?  箱なんてそのためのもんなんだし」

そう言って無造作にラッピングを解いてみたら、 中に入っていたのはハートの形をしたチョコレートだった。

ただし、真ん中からぱっかりと割れたそれは、 見事なまでの失恋マークを描いていたのだが。

それでも形はどうあれ、チョコレートに変わりはないのだから、 俺はホッと息をつく。

「なんだよ、チョコじゃねぇか。 割れても食えるだろ、これ」

ははは、と笑って、 チョコの入った箱であいつの頭を軽く叩いてやる。

だけどあいつは、ぼそぼそと小さな声で抗議してきた。

「こんな状態のもの、 もう渡すことなんてできないじゃない」

「なんだそれ。 お前がもらったもんじゃねぇのかよ」

「なに言ってるの。 今日はバレンタインデーだよ?」

さらりと告げられた事実に、俺は血の気の引く思いがした。


バレンタインデーって言ったらあれか。

好きなヤツにチョコを渡して愛の告白をしましょうっていう、 あの菓子メーカーに踊らされてる日のことか。

改めて見れば、どこからどう見ても、 これは手作りチョコにしか見えない。


つまり、俺はこいつの手作りチョコを、 相手に渡す前に箱をつぶした上に、真っ二つに割ってしまったことになる。

手作りとあれば、同じものを買ってきて交換するわけにもいかねぇし、 それこそ告白でもするつもりだったならなおさら、 弁償して済む話でもないだろう。


こりゃ確かに、泣かれても無理ない状況かもしれねぇ。

ことの重大さに青ざめる俺の横で、今度はあいつが小さくため息をついた。

「もう、いいよ……」

あまりに弱々しく、消えてしまいそうな声だった。

「えっ?」

「最初から、ちゃんと渡せるなんて思ってなかったし」

そう言うと、あいつは寂しそうにチョコの入った箱に手を伸ばす。

「どうせうまくいくはずないって思ってた。 どんなに頑張っても、いつも空回りするだけだもん。 結局こうなっちゃうんだよ。でもほら、 私にはこのチョコの方がお似合いでしょう?」

割れたチョコを差して、あいつは泣きそうな顔で、 でも無理に笑おうとする。

そんな顔を見ちまったら急に胸がカッと熱くなって、 切羽詰まったみたいに焦ってきた。

「なんだよ、それ。そんなことで諦めるのかよ!」

あいつの小さな肩をがっちりと掴んで、俺は必死に言葉を続ける。

「頑張って手作りしたんだろ。すげーうまそうだし、 こんな立派にできてるじゃねぇか。割れちまったのは仕方ねぇけど、 それは俺がちゃんと説明してやっからさ。だから……」

一瞬、その続きを口にするのをためらった。

だけどあいつの顔を見ていたら、 ごちゃごちゃとした感情をすべて振り払ってでも、 ちゃんと伝えなくちゃいけないと思った。

「だからさ、諦めるなって。 お前の気持ちと一緒にちゃんと渡してやれよ。 そうじゃなきゃ可哀想だろ」

真っ直ぐな瞳が俺の言葉を受け止めて、 そこにあった悲しみが少しだけ明るさを取り戻す。

「可哀想か。うん、そうだね。 このまま捨てられちゃうなんて、チョコが可哀想だよね」

――違う、お前が可哀想なんだよ。

そう思っても、口にできない言葉だった。


いそいそとつぶれた箱にリボンをかけ直すあいつを見つめながら、 これで良かったんだと自分に言い聞かせる。

あいつの笑顔が見られるなら、そのためなら、 俺はなんだってしてやろうじゃないか。


再びリボンのかかった箱に、あいつはにっこりと幸せそうな笑顔を向ける。

「でも割れたことの説明は必要ないよ。当事者だからね」

そう、その笑顔が見られるなら俺は……。

――って、今こいつはなにを言った?

言葉の意味が分からずきょとんとする俺に、あいつはチョコの箱を差し出してきた。

「それじゃ改めまして。ハッピーバレンタイン、和馬くん!」

にこにこと嬉しそうな笑顔で、あいつはそんな言葉を口にした。

「ちょっと待て。チョコを渡す相手って、まさか……」

「もちろん和馬くんだよ。そうじゃなきゃ、 わざわざこの時間を狙ってここに来るわけないじゃない」

そうあっさりと言い放たれて、俺は激しい脱力感に襲われた。


あぁ、確かにそうだ。

いくら今日がバレンタインデーだとはいえ、 ほとんどのヤツは下校しちまっている時間帯だ。

部活後の体育館に残ってまで練習を続けるようなヤツは俺しかいない。

しかもそんな体育館に顔を出しに来たのだから、俺に用があってのことなんだろう。


――あぁ、だけど、そうだけど!!

「それ、早く言えよ!!」

噛みつく勢いで、つい叫んでしまっていた。

こいつの持っているチョコに振り回されて、 結局は俺へのプレゼントでした、 だなんてそんなバカみたいな話ってアリかよ!?

「なんで怒ってるの?  チョコだっておいしそうって言ってくれたじゃない。 ねぇ、和馬くん? 和馬くんってばー!」

「うるさい、少し黙ってろ」

俺はいろいろな感情の渦巻く気持ちを整理するため、なんとか一呼吸置く。

そして改めて、あいつが俺に用意してくれたチョコの箱に視線を向けた。


とりあえず、くれるというのだからここは受け取っておくべきだろう。

割れちまってはいるが、こいつの手作りチョコという事実は変わらないのだから。

「まぁせっかくだから、もらってやるよ。 その……、なんだ。チョコがな、可哀想だから、さ」

「うんっ!」

照れ隠しの意地悪な言葉に、それでもあいつはとびっきりの笑顔を見せた。


たまには菓子メーカーに踊らされるのも悪くねぇな。

手にしたチョコの重みを感じながら、俺は今日という日にちょっとだけ感謝した。

〜 Fin 〜

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