ボールの弾む音が聞こえてきて、私はホッと胸をなで下ろす。
部活が終わったこの時間、いつも和馬くんは一人残って自主トレをする。
今日も例に違わず、静まり返る体育館にボールの弾む音だけが響いていた。
こっそりと扉から中をのぞき見ると、 和馬くんは軽やかな動きでゴール下まで駆け抜け、 そのままボールをリングの中に収めていた。
こう言ったら笑われちゃうかもしれないけれど、 その一連の動きには少しの無駄もなく、 鮮やかに決まるシュートはいつ見ても惚れ惚れしてしまう。
日の暮れかけた体育館に長く伸びる影は、休むことなくシュート練習を続ける。
私はそんな和馬くんを目で追うだけで精一杯。
触れることのできない距離、かわされることのない会話。
それでも私の心はこの瞬間に捕らわれ続け、確実に時間を止めてしまうのだ。
和馬くんはランニングシュートの練習に満足したのか、 今度はスリーポイントラインの前で立ち止まった。
そのまますぅっと息を吸い込み、おでこの位置にボールを構える。
シュートの緊張感が不思議と伝わってきて、私までごくりとつばを飲み込んだ。
そのとき――、
「俺になんか用か?」
「ふぇっ!?」
不意に発せられた言葉。
突然のことに頭が回らず、私はなんとも間抜けな声を出してしまった。
それでもとっさに身をひるがえし、扉の影に隠れるようにしゃがみ込む。
こっそりのぞいていたつもりだったが、どうやら和馬くんにはバレていたらしい。
恥ずかしさで顔を赤らめる私をよそに、ボールがリングをくぐり抜ける音が耳に届いた。
私の不審な行動を見ても集中力を欠かさないなんて、やっぱり和馬くんはすごいなぁ。
それに比べて私は……、なんて考え始めたら、思わずため息がこぼれてしまった。
さっきからずっと私の手の中で、あっちへ行ったりこっちへ来たりしている、 オレンジの包装紙に赤いリボンのかかった包み。
昨日はあんなに自信満々だったくせに、いざとなるとやっぱり勇気が出ない。
明るく笑いながら声をかければ良いのに、 結局こんなところでこそこそと隠れることしかできないなんて、私って本当に情けない。
自己嫌悪で再びため息を重ねようとして、しかしそれは別の声にさえぎられた。
「のぞき見なんて、良い趣味してんな」
「か、和馬くんっ!」
さっきまで遠くで見ていたはずの和馬くんが、すぐ目の前に立っている。
ただそれだけのことなのに、私の頭は真っ白になる。
「違うの! これはその……、えーとぉ」
慌てて立ち上がると、言葉にならない言葉を口にする。
それがよほどおかしかったのか、和馬くんが肩を揺らして笑った。
「別に怒ったりしねぇから、隠れんなよ」
そう言って、ぽんっと軽く私の頭に手を置いた。
たったそれだけのことなのに、 私は真っ赤になって声すら出せなくなってしまう。
バカみたいに頭をタテに振り続けるだけで、 和馬くんの顔すらまともに見られなかった。
無言のまま俯く私に、和馬くんは頭の手を離すと、さらりと髪に触れた。
「なんかお前、甘い匂いすんな」
「えっ?」
反射的に顔を上げて、和馬くんの瞳とまともに目があって、 心臓が飛び出るほどドキドキした。
視線をそらしたいと思う弱い心に、だけど私は必死に牙を立てる。
――だってこれはチャンスなのだ。
今このときを逃したら、 きっとこの包みは永遠に私の手から旅立つことはないだろう。
「あ、うん。実は昨日……」
私は精一杯の勇気を振り絞って、 リボンのかかったオレンジの包みを目の前に差し出す。
「昨日ね、カップケーキを焼いたの。 良かったらどうかなって」
半ば押しつけるように手渡すと、俺に? なんて言葉が返ってくる。
「だって今日、和馬くんの誕生日だから」
「あぁ。それでわざわざ?」
手渡された包みを見て、心なしか和馬くんは嬉しそうだった。
そんな様子を、私はまだなんとなく夢見心地で見つめてしまう。
この手にあったカップケーキは、今はもう和馬くんの手の中にある。
それがすごく嬉しくて、でもそれと同時に不安もこみ上げてきてしまう。
「でも、やっぱりカップケーキなんて迷惑だよね。 きっと、そうだよね……」
もちろん和馬くんが甘いものが苦手ってことは知ってる。
知っていて、それでも誕生日にどうしてもケーキをあげたくて、 さんざん悩み抜いた末に、 私は手作りのカップケーキをプレゼントすることに決めた。
それを和馬くんが喜んでくれたかどうかは、手渡した今でも分からない。
「もしかして、すげー甘い?」
私の態度に不安になったのか、和馬くんが聞いてくる。
その言葉に私は思いっきり頭を左右に振って答えた。
「ううん。市販品は甘いかなって思って、かなり甘さ抑えめで作ってみたんだけど」
「なんだよ、ビックリさせんなよ。 それならなんの問題もねぇじゃん」
ホッと安堵の表情を見せてから、 和馬くんはいつもの明るい笑顔で、私の不安を吹き飛ばしてくれた。
「で、でも……」
「それに、さ」
まだ口ごもる私の言葉をさえぎるようにして、 和馬くんが照れくさそうに口を開く。
「お前からプレゼントもらえるの、 実はちっとばかり期待してたんだ。手作りなんてすっげー嬉しいぜ。甘いの苦手で得したかも」
その言葉に、かぁっと顔が熱くなるのを感じた。
一瞬言葉に詰まってから、私は消え入りそうなほど小さな声でそっと伝える。
「……お誕生日、おめでとう」
私の精一杯の気持ちを乗せた言葉に、和馬くんの笑顔が重なった。
今はまだこれだけで精一杯だけど、いつかこの想いを全部伝えられたら良いな。
その時はどうか今と同じように、和馬くんが笑ってくれますように……。
〜 Fin 〜