〜for.零一2


まだ卒業式の余韻が冷めやらぬ校内は、別れを惜しむ涙と、新しい明日へと向かう笑顔で溢れていた。

そんな生徒たちを見守りながら、ふと彼女の姿が見えないことに気づく。

それと同時に、まだ彼女を追っている自分に、思わず苦笑した。


もうタイムリミットは過ぎてしまった。

そろそろ三年前の自分へと時計の針を戻す時間が来たようだ。

――そう。ただ、それだけのことなのだ。

「氷室先生」

突然名を呼ばれ、私は平常心を取り戻そうと軽く咳払いをする。

振り向くと、彼女がいつもと変わらぬ笑顔で私を見上げていた。

「大変お世話になりました」

礼儀正しく深々と頭を下げる彼女の姿に、本当に今日で最後なのだと思い知らされる。

このように会話をすることも、この笑顔を見ることも、もう叶わないのだ。

「君のような優秀な生徒が卒業するのは、実に残念だ」

「でも春になればまた新入生がたくさん入ってきますよ」

「そうかもしれないが、誰も君の代わりにはなれない」

思わず出た本音を、彼女の明るい笑い声がかき消した。

「私よりも優秀な人がいっぱい入ってきますから大丈夫ですよ。氷室学級は不滅です」

――そうじゃない。

どれほど優秀だろうと、素直で真面目な生徒であろうと、君でなければ意味がない。

私の心を熱く燃えたぎらせるのは、君だけしかいないのだ。

「……そうだな」

人はこうも簡単に嘘がつけるのか……。

気持ちとは裏腹の言葉を口にした自分に、心底嫌気が差した。

満足そうに頷く彼女は、最後の瞬間でさえ私の気持ちに気づかない。

いや、むしろそう考えてしまうのは、私が未練がましいだけなのだろうか。

「氷室先生、三年間ありがとうございました。では、失礼します」

やはり礼儀正しく頭を下げると、彼女はくるりときびすを返し友達の元へと走り去っていく。

「本当にこれで良かったのか」

遠ざかる小さな背中に向けて、自問自答を繰り返す。

結局答えなどどこにもなく、さまよう視線はまた彼女の姿を探してしまう。

今別れを告げられたばかりなのに、タイムリミットはとうに過ぎてしまったのに。

――どうしても、断ち切れないのだ。

「そうだ。卒業おめでとうと言うのを忘れていた」

下手な言い訳を思いつき、私の足はとうとう彼女を求めて歩き出す。


いつから君を特別な生徒と思うようになったのだろう。

――いや、そうじゃない。

特別な生徒から特別な女性へと変わったのは、一体いつからなのだ。

気がつけば私の心は、君にどんどん支配されていた。

その笑顔に、放っておけない危うさに、毎日のように心を掻き乱された。


この想いを告げないのは、単に私が臆病者だからだろうか。

だが、どうせこの想いが消える運命ならば、せめて最後まで燃え尽きさせて欲しかった。

今日はそれぐらいの我儘なら許されそうな気がした。

卒業式というこの良き日なら。


「一体どこにいるんだ。頼む、最後のチャンスを……」

いつもは君が私を見つけてくれた。

どんなに忙しくても、どんなに落ち込んでいても、私の顔を見れば嬉しそうに笑って駆け寄ってきてくれた。

だから今度は私が君を見つける番だ。

誰よりも愛おしくて、誰よりも大切な君に、言わなければならないことがあるんだ。


ようやく見つけた君は、吸い込まれるようにそこへと入っていく。

私はまぶたを閉じると深く息を吸い込み、長くゆっくりとそれを吐き出した。

再び開かれた視界の先にあるのは、教会の扉。

私は覚悟を決めると、運命の扉へと手をかける。

その先で待っている君の元へとたどり着くために。

〜 Fin 〜

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