苛立ち 〜for.和馬1


何故か最近、あいつが部活に顔を出さなくなった。

だからひさびさに練習試合に来るって聞いたときは、 自分でも驚くぐらいこの日を楽しみにしてた。

――それなのに。

「なんだよ、これ……」

俺は目の前の光景を、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。


別にあいつが他の誰かと話してたって、俺にはなんの関係もない。

今まで一度だって応援に来たことがないヤツが、 何故か休みの日にわざわざ試合を見に来たのだって、本人の自由だろう。

自分と同じのクラスのあいつを励ますのだって、当たり前のことだし。


だけど、本当は俺が一番に声をかけようと思ってたんだ。

なんでそんなヤツなんかと話してんだよ。

なに楽しそうに笑ってんだよ。

俺に向けるのと同じ笑顔で、笑ってんじゃねーよ。


ぎゅっと拳を握りしめると、そのまま二人から目をそらす。

「なんか、ムカツク」

俺の代わりなんか、いくらでもいるってことかよ。


自分がいるべきはずの場所が、試合前の緊張を和らげてやる役目が、他の誰かに取って代わられた気がした。

でも本当は、そんなことで苛ついてる自分に、一番イライラしていた。



いつもはもっと楽に勝てていたような気がする。

疲れきった体を引きずって、水飲み場へと足を運ぶ。

こうして歩いていても、まるで自分の体じゃないみたいに、手足がずっしりと重い。


シュートを何度も外した上に、四回もファールを取られるなんて。

まるで俺らしくないプレイだった。

それでもなんとか勝てたのは、メンバーの絶妙なフォローがあったからだろう。


蛇口をひねり、頭ごと突っ込んで、勢いよく流れる水をてっぺんから浴びた。

もやもやした気持ちが、水と一緒に全部流れ出てしまえば良いと、思った。

「どうぞ」

突然ふわりとした柔らかな声が耳をくすぐった。

声とともに差し出されたのは真っ白なタオル。

そこで初めて、タオルを持たずに頭を濡らしていたことに気づく。

「わりぃ」

ありがたくそれを受け取って、がしがしと適当に顔と頭を拭いた。

そしたらなにがおかしいのか、くすくすと小さな笑い声が聞こえてくる。

「和馬くん、髪。ぐしゃぐしゃになってるよ」

まるで金縛りにあったみたいに、その一言が俺の時間を止めた。


そうだ、こいつはそういうやつだった。

なにも持たずに水飲み場に行った俺に、さりげなくタオルを差し出すやつなんて、 こいつぐらいしかいない。


やっぱりというかなんというか、俺の目の前には、いつものように明るく笑うあいつがいた。

「今日はどっちも苦戦したね。それでも勝てちゃうんだから、男子部はすごいね」

あいつはいつもとなにも変わらない自然さで、俺に話しかけてくる。

「あーぁ、でも惜しかったな。 あのときのスリーポイントシュートがうまく入ってれば女子部も勝てたのに」

のんきにシュートのマネなんかして、悔しそうに呟いている。


いつもだったらそんなのなんとも思わないのに、今日はなぜか無性に腹が立って仕方がなかった。

そんな仕草が、あいつの行動すべてが、苛立ちをつのらせる。

「試合に集中してねーからだろ」

「えっ?」

きょとんとした顔が、こっちを振り返る。

なにも分かっちゃいないその無垢な表情が、さらに怒りを駆り立てた。

「これから試合だってのに、 ろくに練習もしねぇで男としゃべってばっかでさ。 最近部活にも顔出さねぇし、ふざけた気持ちでバスケやるなよな」

「あ……」

そう言ったきり、あいつは不安に揺れる瞳を伏せ、きゅっと唇を結んだ。

悟られないようにしたつもりでも、その瞳にうっすらと浮かんでいたのは、涙。

やばい、泣かせちまったか。


だけどあいつは次の瞬間、パッと顔を上げた。

「う、うん。そうだね、和馬くんの言うとおりだ。私、全然ダメだね」

少し、声が震えていた。

なんでそんな泣きそうな顔して、無理して笑ってんだよ、お前。

「じゃーな」

いたたまれなくなって、逃げるように背を向ける。


わけも分からず、ただ苛ついていた。

泣かせたかったわけじゃない。

そんな無理した笑顔が見たかったわけじゃない。

それなのに、なにもかも、思い通りにいかない――。

「和馬くんっ!」

不意にそう呼び止められて、思わず足が止まった。

振り向くまでもなく、あいつが俺のユニフォームの裾をしっかりと握りしめて、 引き留めているのだ。

「私、明日からちゃんと頑張るから」

まだ少し震える声で、あいつは必死に言葉を続ける。

「もっといっぱい練習して、 ちゃんと和馬くんに認めてもらえるように頑張るから。だからっ!」

すると今度は消え入りそうな小さな声で呟く。

「……だから前みたいに、試合前に励まして欲しいの」

「だって、それは他のヤツが……」

俺の言葉をさえぎって、あいつは懸命に頭を左右に振った。

「他の人じゃダメなの。和馬くんが、 こんなの楽勝だって笑い飛ばしてくれないと、 全然緊張が取れないの。和馬くんじゃなきゃ、ダメなんだよ」

俺の代わりなんて、いくらでもいると思ってた。

そうやって俺は、手に入れた居場所を自分から手放そうとしていただけなのか。

「お、おう」

気の利いた言葉なんてなにも浮かばず、ただ流されるままに相づちを打つ。

それでもあいつは、バカみたいに嬉しそうに笑ってた。

「絶対ね、約束だからね」

そう言うと、俺の手を取り、半ば強引に指切りをする。

「ウソついたら針千本だからね!」

一方的にそう言い切ると、あいつはひらりと俺を追い越し、 片付けの終わらないコートへと走っていった。


泣いたり笑ったり、女ってホントなに考えてるか分からねぇ。

そう思いながらも、最後に見せた少し勝ち気な笑顔と、 絡ませた小指の温もりが、いつまでも俺をドキドキさせていた。

〜 Fin 〜

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