何故か最近、あいつが部活に顔を出さなくなった。
だからひさびさに練習試合に来るって聞いたときは、 自分でも驚くぐらいこの日を楽しみにしてた。
――それなのに。
「なんだよ、これ……」
俺は目の前の光景を、ただ呆然と眺めていることしかできなかった。
別にあいつが他の誰かと話してたって、俺にはなんの関係もない。
今まで一度だって応援に来たことがないヤツが、 何故か休みの日にわざわざ試合を見に来たのだって、本人の自由だろう。
自分と同じのクラスのあいつを励ますのだって、当たり前のことだし。
だけど、本当は俺が一番に声をかけようと思ってたんだ。
なんでそんなヤツなんかと話してんだよ。
なに楽しそうに笑ってんだよ。
俺に向けるのと同じ笑顔で、笑ってんじゃねーよ。
ぎゅっと拳を握りしめると、そのまま二人から目をそらす。
「なんか、ムカツク」
俺の代わりなんか、いくらでもいるってことかよ。
自分がいるべきはずの場所が、試合前の緊張を和らげてやる役目が、他の誰かに取って代わられた気がした。
でも本当は、そんなことで苛ついてる自分に、一番イライラしていた。
いつもはもっと楽に勝てていたような気がする。
疲れきった体を引きずって、水飲み場へと足を運ぶ。
こうして歩いていても、まるで自分の体じゃないみたいに、手足がずっしりと重い。
シュートを何度も外した上に、四回もファールを取られるなんて。
まるで俺らしくないプレイだった。
それでもなんとか勝てたのは、メンバーの絶妙なフォローがあったからだろう。
蛇口をひねり、頭ごと突っ込んで、勢いよく流れる水をてっぺんから浴びた。
もやもやした気持ちが、水と一緒に全部流れ出てしまえば良いと、思った。
「どうぞ」
突然ふわりとした柔らかな声が耳をくすぐった。
声とともに差し出されたのは真っ白なタオル。
そこで初めて、タオルを持たずに頭を濡らしていたことに気づく。
「わりぃ」
ありがたくそれを受け取って、がしがしと適当に顔と頭を拭いた。
そしたらなにがおかしいのか、くすくすと小さな笑い声が聞こえてくる。
「和馬くん、髪。ぐしゃぐしゃになってるよ」
まるで金縛りにあったみたいに、その一言が俺の時間を止めた。
そうだ、こいつはそういうやつだった。
なにも持たずに水飲み場に行った俺に、さりげなくタオルを差し出すやつなんて、 こいつぐらいしかいない。
やっぱりというかなんというか、俺の目の前には、いつものように明るく笑うあいつがいた。
「今日はどっちも苦戦したね。それでも勝てちゃうんだから、男子部はすごいね」
あいつはいつもとなにも変わらない自然さで、俺に話しかけてくる。
「あーぁ、でも惜しかったな。 あのときのスリーポイントシュートがうまく入ってれば女子部も勝てたのに」
のんきにシュートのマネなんかして、悔しそうに呟いている。
いつもだったらそんなのなんとも思わないのに、今日はなぜか無性に腹が立って仕方がなかった。
そんな仕草が、あいつの行動すべてが、苛立ちをつのらせる。
「試合に集中してねーからだろ」
「えっ?」
きょとんとした顔が、こっちを振り返る。
なにも分かっちゃいないその無垢な表情が、さらに怒りを駆り立てた。
「これから試合だってのに、 ろくに練習もしねぇで男としゃべってばっかでさ。 最近部活にも顔出さねぇし、ふざけた気持ちでバスケやるなよな」
「あ……」
そう言ったきり、あいつは不安に揺れる瞳を伏せ、きゅっと唇を結んだ。
悟られないようにしたつもりでも、その瞳にうっすらと浮かんでいたのは、涙。
やばい、泣かせちまったか。
だけどあいつは次の瞬間、パッと顔を上げた。
「う、うん。そうだね、和馬くんの言うとおりだ。私、全然ダメだね」
少し、声が震えていた。
なんでそんな泣きそうな顔して、無理して笑ってんだよ、お前。
「じゃーな」
いたたまれなくなって、逃げるように背を向ける。
わけも分からず、ただ苛ついていた。
泣かせたかったわけじゃない。
そんな無理した笑顔が見たかったわけじゃない。
それなのに、なにもかも、思い通りにいかない――。
「和馬くんっ!」
不意にそう呼び止められて、思わず足が止まった。
振り向くまでもなく、あいつが俺のユニフォームの裾をしっかりと握りしめて、 引き留めているのだ。
「私、明日からちゃんと頑張るから」
まだ少し震える声で、あいつは必死に言葉を続ける。
「もっといっぱい練習して、 ちゃんと和馬くんに認めてもらえるように頑張るから。だからっ!」
すると今度は消え入りそうな小さな声で呟く。
「……だから前みたいに、試合前に励まして欲しいの」
「だって、それは他のヤツが……」
俺の言葉をさえぎって、あいつは懸命に頭を左右に振った。
「他の人じゃダメなの。和馬くんが、 こんなの楽勝だって笑い飛ばしてくれないと、 全然緊張が取れないの。和馬くんじゃなきゃ、ダメなんだよ」
俺の代わりなんて、いくらでもいると思ってた。
そうやって俺は、手に入れた居場所を自分から手放そうとしていただけなのか。
「お、おう」
気の利いた言葉なんてなにも浮かばず、ただ流されるままに相づちを打つ。
それでもあいつは、バカみたいに嬉しそうに笑ってた。
「絶対ね、約束だからね」
そう言うと、俺の手を取り、半ば強引に指切りをする。
「ウソついたら針千本だからね!」
一方的にそう言い切ると、あいつはひらりと俺を追い越し、 片付けの終わらないコートへと走っていった。
泣いたり笑ったり、女ってホントなに考えてるか分からねぇ。
そう思いながらも、最後に見せた少し勝ち気な笑顔と、 絡ませた小指の温もりが、いつまでも俺をドキドキさせていた。
〜 Fin 〜