紫陽花 〜for.珪


渡り廊下を横切ろうとして、私はふと足を止める。

「あれ、珪くん?」

いつからそこにいたのか、支柱にもたれてぼんやりとしているその姿は、 少し雨に濡れている。

「なにやってるの?」

声をかけると、少しの間を置いてから、珪くんがゆっくりと振り向いた。

「あぁ、お前か……」

そういうと、珪くんは口元を緩めて、ふっと小さく笑う。


私の大好きな、珪くんの笑顔だ。

だけどすぐにまた、それは雨に濡れるグラウンドへと向けられた。

「……ここから見える景色、見てた」

「うん。でも雨降ってるね」

「俺、雨好きなんだ」

ゆっくりとした口調は、雨の音にそのまま溶けて、消えてしまいそうだった。

「雨音聞いてると、なんか落ち着く」

「そうなんだ」

そう言った自分の言葉が、なんだか一番違うような気がした。

だって本当に好きなら、心が落ち着くなら、 きっとこんなに寂しそうな顔なんてしないはずだから。

「……綺麗だな」

「えっ?」

なんのことか分からずきょとんとしていると、珪くんがすっと静かに指を差す。

「アジサイ」

ひっそりと身をひそめるように、一株のアジサイが雨に濡れている。

「あ、本当だ! 全然気づかなかった」

「だと思った」

少し意地悪っぽく、珪くんが笑った。

「あ、ひどーい!」

だから私も、頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向いてやるのだ。


だけど本当に悔しいのは、それが全然効果を発揮しないこと。

聞こえてくるのは、雨音に交じる珪くんの静かな笑い声。

そして、その笑顔が見られないのを残念に思っている自分が、 なにより悔しい。


そんな歯がゆい気持ちでいたら、不意に肩を抱き寄せられた。

「ど、どうしたの?」

「雨、濡れるから」

気がつけば、降り込んでくる雨に、二人して髪や肩を濡らしていた。

「……うん、ありがと」

それでも雨に濡れる渡り廊下から離れられないのは、 そうして笑う珪くんの瞳がすっごく穏やかだったから。

そしてきっと、小さく咲くアジサイがあまりに綺麗だったからに違いない。

〜 Fin 〜

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