第12話 ギブ・アンド・テイク

七瀬はしばらくの間呆然としていたが、俺をじっと見つめると不思議そうに呟いた。

「どうしてそんなに優しくしてくれるのですか」

まっすぐ向けられる視線が気恥ずかしくて、逃げるようにそっぽを向く。

「それ、禁句って言っただろ」

「す、すみません……」

別に怒ったわけじゃねぇが、ぶっきらぼうに言った言葉に七瀬が慌てて謝った。


――違う。謝るのはお前じゃねぇ。


ちらりと視線を向けると、文字通りしょんぼりしている七瀬の姿が目に入る。

でも今はそうやって素直に気持ちを表現する七瀬が、少し羨ましかった。

「あー。だから、さ。そんなこと聞かれても困る」

とりあえず変な誤解は解いておこうと、頭をかきながら言葉を探す。

「俺だってなんでこんなことやってんのか分かんねーんだ」

いくら自分が原因だったとはいえ、たかが女一人のためにこんなびしょ濡れになって探し回り、さらになんとか連れ戻そうと四苦八苦して る。

普通に考えてありえねー話だ。

いや、今回だけじゃねぇ。

七瀬が俺の部屋に居座るようになってからが全部、ありえねー話なんだ。

そうじゃなきゃただの同情だけでここまでやってやる義理なんかない。

まったくもって俺らしくない。ずっと調子を狂わされてる気分だ。

「でも、たぶん……」

俺はふっと空を見上げる。

細かい雨が降り注いできて、思わず目を細めた。


この雨がすべてを洗い流してくれれば良い。

恥も外聞も見栄もウソも、今だけで良い。全部俺の中から消し去ってくれ。

すぅ、と軽く息を吸い込むと、俺はゆっくりとした口調で断言する。

「お前だったから、かもな」

「え?」

そう、同情だけで一緒にいたんじゃない。

俺が七瀬にしてやってたのと同じぐらい、いやきっとそれ以上に、俺も七瀬からもらってたもんがたくさんあった。

一時の感情で無くしちまうには惜しいもんを、いっぱいもらってたんだ。

「七瀬だったから迎えに来たんだ。八つ当たりして傷つけたとか、行き場の無いお前を追い 出して後味悪いとか、本当はそんな理由じゃねーんだ。そういうんじゃなくて……」

そこまで言って、俺はやっと探していた答えを見つけた。

それはとても単純で簡単な答えだった。

「――お前がいなくなるのがイヤだった。ただ、それだけなんだ」

「……っ」

七瀬は驚いたように息を飲むと、瞬きすら忘れて俺をじっと見つめ返してくる。


そりゃそーだ、自分で言っておいてなんだけど、あまりに子どもじみた自分勝手な言葉だった。

一気にカーッと熱が上がってきて、俺は勢いのまま言葉を続ける。

ヤケクソじゃねーけど、なんか今だったらなにもかも言えそうな気がした。

「だ、だから! 俺が全部悪かったって思ってるし、きちんと謝らせて欲しいっつーか。 えーと、だから、その……。あんときは言い過ぎたよ。ホント、悪かった……」

「違います! 和馬くんはなにも悪くありません」

ハッと我に返ったように七瀬が慌てて言い返した。

「私がでしゃばったことをしただけです。和馬くんが怒るのは当然のことで、私に謝ること なんてなにもありません」

「そんなことねぇよ」

今度は俺の方が言い返す番だった。

こんなときでさえ自分を責めようとする七瀬に、ちゃんと伝えなくちゃいけないことがある。

「お前は俺に教えてくれたじゃねーか。見失ってた大切なもん全部」

有無を言わせない強い言葉で言い切ると、七瀬もそれ以上は口を挟もうとはしなかった。

ただ静かに言葉の続きを待っていてくれる。

だから俺はちゃんと自分の気持ちを伝えなくちゃいけないと思った。

「お前の言ったことなにも間違っちゃいなかった。俺は自分勝手で甘チャンでなんにも見え て無かったんだ。七瀬のことも分かった振りして本当に理解しようなんて思ってなかった。俺は自分のことしか考えてなかっ た」

分かっていて、わざと目を背けてきた。

日本に戻って来てからずっとそうだ。

すべてから逃げ続けるだけで、出口どころか自分が歩く道すら見失っていた。

そんな俺に真っ向から向き合ってくれたのは他の誰でもない七瀬だ。

「だけどお前は違う。成り行きで一緒にいただけの俺をちゃんと見てた。なにを考えてどう 行動して、なにが足りなくて行き詰ってるのか、俺から言わなくても全部分かってくれていた。同じ時間を過ごしてたのに、お前と俺じゃこんなに違った」

「和馬くん……」

自分の無力さが情けなくて、思わず拳に力を込める。

でも、もしこんな俺でも七瀬の役に立てるなら、喜んで手を差し伸べたいと思うんだ。

「だから、今度は俺がお前の力になりてーんだ。お前がそうやって無理して笑ってんの見た くねぇし。こんな俺じゃ頼りにならねぇかもしんねーけど、それでも……」

「和馬くん」

言葉を遮るように、はっきりと七瀬が俺の名を呼んだ。

どこか俺の気持ちを拒否するような、そんな強さがあった。

なにかに耐えるように胸の前でぎゅっと手を握り締めて、苦しそうに眉を寄せている。

「お気持ちは嬉しいのですが、それは少し無理なお話です」

静かに語り始めた七瀬の言葉に、俺はごくりと唾を飲み込んだ。

〜 続く 〜

雪の花冠トップページ