第13話 無くした感情

「ユーレイでいることは思いのほか縛られることが多いのです」

そう語る七瀬の言葉は、淡々とした口調とは裏腹にひどくずっしりと耳に響いた。

「声や姿を分かってもらえませんから、 どんなに近くにいてもなにも伝えられないのです。 物に触れることもできませんから、なにも得ることができません。そして泣くことも――」

七瀬は一度だけ静かに目を閉じると、また悲しそうな笑顔を見せた。

「ユーレイって損ですよね。嬉しいときは笑えるのに、どんなに悲しくても辛くても、泣く ことができないんで す。――涙がね、出ないんです」

「涙……」

言われてみれば当然のことなのかもしれない。

ユーレイの七瀬が、たとえ涙一粒だろうと、なにか形に残るものを生み出すのは難しいのだろう。

存在を残せるような確かなものなんてなにもない。

曖昧で不確かで、目を離したらどこかに消えちまうんじゃねぇかと思うほどはかない存在。

それが今の七瀬なんだ。

「だから、私には笑うことしかできないんです。 無理してでも笑ってなくちゃいけない。それでも――」

ふっと言葉を切ると、遠くを見つめたまま七瀬がぽつりと呟いた。

「それでも、涙だけは無くしたくなかった。 私はすごく泣き虫で、いつも泣いてばかりいて。 だから泣けないことがこんなに辛いことだなんて知らなかった……」

それは誰に言うでもなくこぼした本音。


俺はこのときようやく七瀬の本当の弱さを知った。

それと同時に、なぜかものすごくホッとした。

いつでもキラキラと輝くような強さを持つ七瀬でも、 やっぱり心の内にはこんな弱さがあったんだ。

「なんだよ、それ。涙なんか出なくたっていーだろ。悲しいとか辛いとか、 そんな感情まで全部無くなるわけじゃねぇんだ。泣けないからって無理して笑うより、 今すっげー悲しい! って大声で叫び回った方がずっと良い。そうすればいーじゃん」

「笑うことしかできないのに、笑わなくてもいいのですか?」

「つべこべ言ってねぇで、やってみろよ。 あー、悲しい! すっげー、かーなーしーいーっ!」

口に手を当てて、空に向かって大声で叫んでやった。

でも七瀬はきょとんとした顔で俺を見上げるだけだ。


なんだよ、一人で叫んでてバカみたいじゃねーか。

だけどここまで来たら変な意地が出てきて、俺は気にせず叫び続けた。

「悲しいー! 辛いー! 俺しか叫んでなくて、さーみーしーいーっ!!」

「ありがとうございまーす!!」

何度か叫んでいたら、七瀬が叫び返してくれた。

ハッとして七瀬を見ると、大声を出したからなのか頬が赤くなっている。

「ふふっ。こんな風に叫んだの、初めてです」

「それにしちゃ上出来じゃん」

嬉しそうな笑顔につられて、俺も一緒になってひとしきり笑った。



気がつくと雨はすっかり止んでいて、明かりを反射してキラキラ光る水溜まりを見つめながら、七瀬がぽつりと呟いた。

「こうして和馬くんとお話していると、ときどき私はまだ生きているんじゃないかって錯覚 しそうになります。それぐらい和馬くんの放つ光は強くて眩しい。私なんかがうっかり近づくと焼かれてしまいます」

「なんだよ、それ。難しいこと言われても意味分かんねー」

すみません、と七瀬が一言謝ったが、それでも遠まわしに俺を避けようとしていることぐらいは分かった。


欲しいものがあるのなら、はっきり口に出さねぇとさすがに手に入らねぇか、やっぱ。

俺は軽く息を吐き出すと、心底呆れたように口を開く。

「だいたい錯覚ってなんだよ。こうして会って話せて、意見言ってケンカして。俺にとっ ちゃ生きてる人間となにも変わらねーよ。今さらユーレイだからって避けられんのは納得いかねぇ」

「え……? あ、あの……」

どう反応すれば良いのか分からないようで、七瀬はオロオロと言葉を探している。

だから俺はゆっくりと、そしてはっきりと言葉を続けた。

「さっきの話の続きじゃねーけどさ、たまには誰かに頼ったり甘えたり、そういうのも必要 なんじゃねぇかと思う。お前の姿が俺にしか見えないってのもなにかの縁だろ。泣きたいときはいつだってこうして一緒に叫んでやるし。一人で頑張るのも悪か ねーけど、俺みたいに行き詰まっちまうことだってあるからさ」

「――頼る、ですか……」

七瀬は自分を泣き虫だと言ったが、生きてるときもこいつが泣いてるところなんて見たことがない。

それどころかいつもヘラヘラと笑ってた。


そう、バカにされてもからかわれても、ずっと笑い続けていたんだ。

ユーレイになる前から七瀬はこうやって悲しい気持ちを笑顔で隠してきたんだろう。

そして誰にも気づかせず、一人でこっそりと泣いてきたんだ。

今もきっと、俺に頼ろうとせず、でも泣くこともできず、悲しみを抱えて一人で生きていこうとしてる。

「気の利いたことなんかなんも言ってやれねーし大したこともできねーけど。それでも俺な らお前のそばにいてやれる。お前の気持ちも聞いてやれるし、気が済むまで一緒にいてやる。お前は――、七瀬妃茉莉は、一人なんかじゃねーから」

俺は立ち上がると、まっすぐ七瀬に向き直った。

素直に見つめてくるその瞳をしっかりと見据えて、覚悟を決めて手を差し出す。

「だから、帰ってきてくれねぇか」

七瀬は不安そうな表情で恐る恐る口を開く。

「私がそばにいても良いのですか」

「お前じゃなきゃ意味が無い」

「……っ」

次の瞬間、七瀬は泣きそうな顔で俺の手にすがりついてきた。

その肩が小さく震えている。


この手で七瀬を抱き締めることはできないけれど、存在を感じることはできる。

再び触れることのできた冷たい感触に、俺は心底ホッとした。

〜 続く 〜

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