卒業してからそんな経っていないのに、どこもかしこも懐かしく感じる。
中庭のベンチに腰を下ろすと、首元のネクタイを緩めた。
「ふぅー、今日も暑ぃな」
額に手をかざして、どこまでも青く広がる空を見上げた。
お袋はただひたすら頭を下げ続け、氷室は叱るでも呆れるでもなく冷静に対応してくれた。
結局自分一人じゃなにもできなくて。
たくさんの人に迷惑かけて、そんでいつも助けられてばっかりだ。
以前の俺だったら、情けねぇと思ってただろうけど、今なら分かる。
――それは、すげーありがたいことなんだ。
「だからもう、簡単にダメだなんて思わねぇよ」
自分に言い聞かせるように、強くはっきりと言葉にする。
たったそれだけのことだが不思議と力が湧いてきた。
遠くから名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
顔を向けると、先ほど別れたばかりの氷室が慌てた様子でこちらに向かって来ていた。
「あぁ、よかった。まだ帰っていなかったようだな」
「いや、でもお袋なら用事があるからって、もう先に帰っちまったけど」
「ならば君から渡しておいてくれないか。手続きに必要な書類だ」
そう言って一通の茶封筒を差し出してきた。
俺がそれを受け取ると、氷室はすぐに背を向け歩き出そうとする。
「あのっ! 氷室センセー。ジュースおごるんで、どうですか?」
さんざん謝ったし礼も言ったし、これ以上話すことなんか無い。
夏休みだって氷室はきっと忙しいはずだ。
それでもなんとなく別れがたくて、つい引き留めてしまった。
振り向いた氷室がニヤリと笑う。
「アイスコーヒーなら、もらおうかな」
ベンチに座って氷室と一緒に缶ジュース飲んでるなんてどうかしてるぜ。
特に話題もなくだた黙々と冷たいジュースを飲んでるだけなんだが、不思議ととても心地よかった。
「そうだ、言い忘れていたが」
手にした缶コーヒーを見つめたまま、氷室が言葉を続ける。
「無理だと思ったら帰ってきても良いと私は思っている。 今回の件も、鈴鹿にしては良い選択をした。戻れる場所があると思えばこそ、人はもっと頑張れる」
「…………」
ゴクリ、と喉を通ったジュースと一緒に、氷室の言葉が胸に落ちてきた。
「今回は本当にいろいろとありがとうございました」
気がついたら、今日もう何度目か分からない礼の言葉を、またも口にしていた。
「本当に大変になってくるのはこれからだ。向こうでも頑張りなさい」
「へへっ。次に会うときを楽しみにしててくれよな」
二カッと歯を見せて笑うと、氷室も小さく笑って缶コーヒーを飲み干した。
これで自分のことに区切りがついたと思ったら、ふいに七瀬のことが頭に浮かんできた。
「そういやセンセ―に聞いておきたいことがあったんだ。七瀬妃茉莉のことなんだけど、さ……」
「――七瀬、か」
とたんに氷室の顔から笑みが消えた。
少しの間を置いてから、重々しく言葉を続ける。
「鈴鹿は墓参りには行ったのか?」
「いや、まだ。つか、死んだことも数日前に知ったばっかで……」
「そうだな。せめて墓参りぐらい行ってあげなさい。きっと、七瀬も喜ぶ」
あまりに意外な言葉に、思わず耳を疑った。
その本人から絶対に墓参りには行くなと言われた、なんてさすがに言えないが。
「そーですかね」
ごまかそうと気のない返事をする俺に、氷室がすかさず言葉を返す。
「それはもちろんだ。彼女は君のために――」
「俺の、ために?」
心臓がドクン、と高鳴った。
俺の知らないところで、俺に関わる重要ななにかが勝手に動いている気がする。
七瀬も氷室も、もしかしたら俺以外の全員が知ってるかもしれねぇ『なにか』が。
俺が知らなくちゃいけない、大切な『なにか』が――。
「いや、なんでもない。時間があるならばぜひ行ってあげなさい。 渡そうか迷っていたのだが、これを」
そう言うと、氷室は小さな紙きれを差し出した。
受け取ったそれには七瀬の墓までの地図が書いてあったが、結局あの言葉の続きを聞き出すことはできなかった。
〜 続く 〜