第18話 鍵

緩めていたネクタイを締め直すと、七瀬のお袋さんに続いて玄関をくぐる。

「おじゃまします」

緊張しながら七瀬の家に上がった。

案内されるまま仏壇の前に座ると、七瀬の遺影が目に入る。

心の底から嬉しそうに笑ってる、俺の知ってる七瀬の笑顔だった。

「それね、昨年の学園際のときの写真なのよ。 妃茉莉は裏方だったけど、学園演劇が大成功したって喜んでたわね」

うわぁ、学園演劇って俺が出てた金色夜叉かよ。

確かに大成功だったかもしれねーが、正直恥ずかしくて思い出したくねぇ。

「あの時は貫一の衣装担当でね、夜遅くまで頑張って作っていたのよ。 だから私はね、衣装を着た和馬くんと妃茉莉の写真が撮りたかったんだけど、 あの子ったら絶対ダメだって怒るんだもの。結局撮らせてもらえなかったのよ」

そうか、あのときの衣装は七瀬が作ったやつだったんだ。

セリフ覚えるのに必死で、それ以外のことなんてなにも覚えてねぇし。

俺っていつも自分のことばっかで、 俺のために誰かがなにかをしてくれてても全然気づけねぇんだな。

でもそっか。だから七瀬のお袋さんは俺のこと知ってたのか。

「……バカだな。写真ぐらいいくらでも撮ってやったのに」

どうせ迷惑だからとか言って、遠慮して声すらかけなかったんだろうな。

遺影の中で笑う七瀬に歯がゆい思いがした。

ユーレイになっちまったら、一緒に写真を撮ることもできねぇじゃねーか。

「お参りが終わったらこっちに来てちょうだい」

そう言って通されたのは、七瀬の部屋だった。

真っ白なレースのカーテンに、白いシーツのベッドと机。

あちこちに置かれているドクロの顔をした熊のぬいぐるみ以外は、 ほとんどが白をベースにした色合いだった。

真夏の昼間の刺すような日差しさえ、ここではなぜか穏やかにキラキラと光って見える。

はかなげで消えちまいそうで、でも振り返ったらすぐそこに七瀬が立って笑ってるような、 そんな錯覚に陥りそうな部屋だった。

「まだなにも片付けてないの。――片付けられないのよ」

「それでいーんじゃないですか。 きっと七……、妃茉莉さんも、そう思ってる」

逆にきれいに片づいた自分の部屋なんか見ちまったら、 ますます自分の居場所を無くしちまうだろう。

いつかあいつが堂々と自分の家に帰って、お袋さんに会える日が来るって思いてぇし。

たとえ声も姿もなにも分からなくても、それでもきっとなにか伝わる方法があるはずだ。

そうでなくちゃ、あいつが――、妃茉莉がユーレイでいる意味が無くなっちまう。

「そう、そうよね……。ふふ、ありがとう」

悲しそうな笑顔が胸を締めつけた。


なんで俺にしか見えないんだろう。

名前すら忘れかけてたような俺なんかよりも、あいつに会いたがってる人間はたくさんいるっていうのに。

世の中ってうまく回らねぇもんだよなぁ……。

「あぁ、引き留めてしまってごめんなさいね。和馬くんに会えたことが嬉しくて、つい。 見せたかったものはね、これなのよ」

そう言うと、お袋さんは机の一番上の引き出しから一冊のノートを取り出した。

「見てもいいのか」

「そうねぇ、妃茉莉が知ったら怒るでしょうね。もしかしたら和馬くんだって、 見ないほうが良かったと思うかもしれない。でもやっぱりあの子が最後に頑張ってたことだから、 知っていて欲しいと思っちゃうの。私のわがままを許してね」

あぁ、あいつはきっとこうなることを予想して、墓参りには行くなと言ったのか。

あいつが必死に隠そうとしてたのなら、これは見ちゃいけねーんだろうな。

だけどお袋さんが見て欲しいと言うことは、やっはり俺に関わることなんだ。

見ていーのか、見ないほうがいーのか、どうすれば……。


答えを出せずに立ち尽くしていたら、突然、バタンッ! と大きな音がした。

ビックリして目をやると、中学生ぐらいの男子が血相を変えて部屋に飛び込んできた。

「かーちゃん、なんでこいつ家に入れてんの!」

「あら、おかえりなさい、尽」

のんびりした声が一気にその場を和ませたのか、 そいつはことさら大きなため息をつくと、諦めたように口を開く。

「……ただいま。で、今の状況を説明して欲しいんだけど」

それでも抑えきれない怒りを含んだ声でそう言うと、文字通りギロリと俺を睨みつけてきた。

「私が呼んだのよ。だって妃茉莉のお墓参りに来てくれたんだもの」

ひょうひょうとかわすお袋さんに舌打ちすると、今度は勢いに任せて俺の腕に掴みかかってきた。

「信じらんねぇ! なにズカズカとねえちゃんの部屋に入ってんだよ、スズカ!」

「ちょ、待てよ。姉ちゃんってことは、こいつは……」

状況が呑み込めず必死で頭の中を整理しようとする。

しかしその時間さえも惜しむように、力任せに部屋から引っ張り出された。

「お前なんかねえちゃんに会う資格なんかないっ!  分かったら二度と来るなっ! 出てけっ!!」

訳も分からず怒鳴られて、気がついたら俺は家からも追い出されていた。

〜 続く 〜

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