緩めていたネクタイを締め直すと、七瀬のお袋さんに続いて玄関をくぐる。
「おじゃまします」
緊張しながら七瀬の家に上がった。
案内されるまま仏壇の前に座ると、七瀬の遺影が目に入る。
心の底から嬉しそうに笑ってる、俺の知ってる七瀬の笑顔だった。
「それね、昨年の学園際のときの写真なのよ。 妃茉莉は裏方だったけど、学園演劇が大成功したって喜んでたわね」
うわぁ、学園演劇って俺が出てた金色夜叉かよ。
確かに大成功だったかもしれねーが、正直恥ずかしくて思い出したくねぇ。
「あの時は貫一の衣装担当でね、夜遅くまで頑張って作っていたのよ。 だから私はね、衣装を着た和馬くんと妃茉莉の写真が撮りたかったんだけど、 あの子ったら絶対ダメだって怒るんだもの。結局撮らせてもらえなかったのよ」
そうか、あのときの衣装は七瀬が作ったやつだったんだ。
セリフ覚えるのに必死で、それ以外のことなんてなにも覚えてねぇし。
俺っていつも自分のことばっかで、 俺のために誰かがなにかをしてくれてても全然気づけねぇんだな。
でもそっか。だから七瀬のお袋さんは俺のこと知ってたのか。
「……バカだな。写真ぐらいいくらでも撮ってやったのに」
どうせ迷惑だからとか言って、遠慮して声すらかけなかったんだろうな。
遺影の中で笑う七瀬に歯がゆい思いがした。
ユーレイになっちまったら、一緒に写真を撮ることもできねぇじゃねーか。
「お参りが終わったらこっちに来てちょうだい」
そう言って通されたのは、七瀬の部屋だった。
真っ白なレースのカーテンに、白いシーツのベッドと机。
あちこちに置かれているドクロの顔をした熊のぬいぐるみ以外は、 ほとんどが白をベースにした色合いだった。
真夏の昼間の刺すような日差しさえ、ここではなぜか穏やかにキラキラと光って見える。
はかなげで消えちまいそうで、でも振り返ったらすぐそこに七瀬が立って笑ってるような、 そんな錯覚に陥りそうな部屋だった。
「まだなにも片付けてないの。――片付けられないのよ」
「それでいーんじゃないですか。 きっと七……、妃茉莉さんも、そう思ってる」
逆にきれいに片づいた自分の部屋なんか見ちまったら、 ますます自分の居場所を無くしちまうだろう。
いつかあいつが堂々と自分の家に帰って、お袋さんに会える日が来るって思いてぇし。
たとえ声も姿もなにも分からなくても、それでもきっとなにか伝わる方法があるはずだ。
そうでなくちゃ、あいつが――、妃茉莉がユーレイでいる意味が無くなっちまう。
「そう、そうよね……。ふふ、ありがとう」
悲しそうな笑顔が胸を締めつけた。
なんで俺にしか見えないんだろう。
名前すら忘れかけてたような俺なんかよりも、あいつに会いたがってる人間はたくさんいるっていうのに。
世の中ってうまく回らねぇもんだよなぁ……。
「あぁ、引き留めてしまってごめんなさいね。和馬くんに会えたことが嬉しくて、つい。 見せたかったものはね、これなのよ」
そう言うと、お袋さんは机の一番上の引き出しから一冊のノートを取り出した。
「見てもいいのか」
「そうねぇ、妃茉莉が知ったら怒るでしょうね。もしかしたら和馬くんだって、 見ないほうが良かったと思うかもしれない。でもやっぱりあの子が最後に頑張ってたことだから、 知っていて欲しいと思っちゃうの。私のわがままを許してね」
あぁ、あいつはきっとこうなることを予想して、墓参りには行くなと言ったのか。
あいつが必死に隠そうとしてたのなら、これは見ちゃいけねーんだろうな。
だけどお袋さんが見て欲しいと言うことは、やっはり俺に関わることなんだ。
見ていーのか、見ないほうがいーのか、どうすれば……。
答えを出せずに立ち尽くしていたら、突然、バタンッ! と大きな音がした。
ビックリして目をやると、中学生ぐらいの男子が血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「かーちゃん、なんでこいつ家に入れてんの!」
「あら、おかえりなさい、尽」
のんびりした声が一気にその場を和ませたのか、 そいつはことさら大きなため息をつくと、諦めたように口を開く。
「……ただいま。で、今の状況を説明して欲しいんだけど」
それでも抑えきれない怒りを含んだ声でそう言うと、文字通りギロリと俺を睨みつけてきた。
「私が呼んだのよ。だって妃茉莉のお墓参りに来てくれたんだもの」
ひょうひょうとかわすお袋さんに舌打ちすると、今度は勢いに任せて俺の腕に掴みかかってきた。
「信じらんねぇ! なにズカズカとねえちゃんの部屋に入ってんだよ、スズカ!」
「ちょ、待てよ。姉ちゃんってことは、こいつは……」
状況が呑み込めず必死で頭の中を整理しようとする。
しかしその時間さえも惜しむように、力任せに部屋から引っ張り出された。
「お前なんかねえちゃんに会う資格なんかないっ! 分かったら二度と来るなっ! 出てけっ!!」
訳も分からず怒鳴られて、気がついたら俺は家からも追い出されていた。
〜 続く 〜