第21話 理由

正直、どうやって帰ってきたのか覚えちゃいない。

今の俺を突き動かしていたのは焦りと怒りと ――そして、わけの分からない感情だけだった。

それをぶつけるように思いっきり部屋のドアを開けた。

「あ、おかえりなさい、和馬くん」

俺の姿を見つけたとたん、部屋の片隅で小さくなっていた妃茉莉が、 ぱぁっと笑顔になった。

いつも通りのその光景に一瞬息をのむ。

心臓を掴まれたように、見慣れたはずのその笑顔が息苦しかった。

うまく呼吸ができなくて、やっとの思いで感情とともに息を吐き出す。

「――なんでっ……」

「え?」

俺のただならぬ様子に気がついたのか、妃茉莉は困ったようにその場に立ち尽くしている。

その距離が遠くて、すごくすごく遠くて、めまいがしそうだった。

「なんで黙ってたんだっ!」

気がついたら力いっぱい壁を叩きつけていた。

その大きな音に驚いたのか、妃茉莉は見てわかるほど肩をびくつかせた。

「あ、あの。いったいどうしたんですか?」

おずおずとした口調で妃茉莉が口を開いた。

胸の前でギュッと固く握りしめた両手が震えているのが分かった。

俺は一呼吸置くと、ぐっと拳を握り締める。

「お前さ、ユーレイになった理由が分からねぇって言ったよな。 それ、全部ウソじゃねーか! どうしてそんなウソつく必要があったんだよ」

その言葉に、妃茉莉ははじかれたように頭を左右に振った。

「ウソじゃありません。私は本当に……」

「どこまでウソつくんだよ!」

こらえきれず、また壁を叩きつけた。

「俺に言いたいことあったんだろ。だからユーレイになってまでも、 俺に会いに来たんだろ! 全部分かってて、それを全部隠して。 お前いったいなにがしたいんだよ!」

苛立つ感情をぶつけるように、二度、三度と壁を叩きつけた。

その行動に驚いたのか、妃茉莉はその場にうずくまると、 小さくごめんなさいと繰り返した。

「私が悪かったのなら謝ります。でもユーレイになった理由なんて、 そんなの本当に分からないんです」

何度も頭を左右に振り続けていた妃茉莉が、ふいに顔を上げた。

吸い込まれそうな大きな瞳がじぃっと俺を見上げてくる。

「和馬くんは、分かるのですか?」


――まさか、無自覚?

いや、いくらなんでもそんなわけねーだろ!


持っていた紙袋に手を突っ込むと、乱暴に妃茉莉のノートを引っ張り出した。

「なんだよ、それ。意味分かんねぇ。お前、俺が好きだったんじゃねーのかよ。 俺に会いたくてユーレイになったんじゃねーのかよ。答えろよ、妃茉莉。―― ちゃんと、答えろ」

力任せにノートを床に叩きつけた。

それを追うように、黒い大きな瞳がゆっくりと床に落ちていく。

「これ、は……」

ノートを見つけた妃茉莉は震える声でそれだけ呟いた。


俺には俯いたままの妃茉莉の表情はなにも見えない。

きっと一冊のノートが、今日の出来ごとをすべてを物語ってくれただろう。

もう言い訳はできない。だけど、それ以上に確かめたいことがあった。

妃茉莉の口から直接聞きたかった。

それが俺のワガママだったとしても、どうしても必要だと思ったんだ。

「――約束、したのに。守ってくれなかったんですね」

長い沈黙を破ったのは、やはり的を外した言葉だった。

「それは、俺の質問に答えてない」

逃がさないようきっぱり言い切った俺に、妃茉莉はびくりと肩を震わせた。

しかし次の瞬間には、底抜けに明るい笑い声が聞こえてきた。

「あはっ。やっぱり私、和馬くんに会いたくてユーレイになったんですか。 そうですよね、やっぱりそうなりますよね」

「…………」

不器用すぎる作り笑いが、今の妃茉莉の精いっぱいなんだろう。

どう対応すれば良いのか分からず、俺は一言も話せないでいた。

「だいたい和馬くんにしか私の声も姿も分からないんですから、 そう考えるのが普通ですよね。言われるまで気づかないなんて。ふふっ、私って本当にバカですね」

そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。

自分がどうしたいのか、何ができるのか、 感情の高ぶった頭じゃまともな答えなんか出てこない。

妃茉莉はひとしきり笑うと、深いため息をついて再び俯いた。

長い髪が顔にかかり、また妃茉莉の表情が見えなくなる。

「――でも、でもね。それだけは考えたくなかった……」

いつものバカ丁寧な口調とは違うその言葉は、おそらく妃茉莉の心の声なんだろう。

ノートにそっと重ねた手が、小さく震えている。

「こんなに残酷なことってないよ。死んでまで、 和馬くんに迷惑なんてかけたくなかったのに。私の想いなんて知らなくて良い。 だって私、死んじゃったんだから」

さらりと言われた言葉がナイフのように突き刺さり、俺は奥歯を噛み締めた。

〜 続く 〜

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