窓から差し込む夕日が部屋を赤く染め上げている。
その赤い光の中で、お互い背中を合わせたまま床に座り込んでいた。
背中から伝わるひんやりとした感覚と、 横を向くとノートの上に置かれた妃茉莉の小さな手だけが見えた。
「小さなころからずっと重い病気にかかってて、 実は高校も卒業できるかどうか分からなかったぐらいなんです」
ぽつりぽつりと、妃茉莉が話してくれた。
俺はそれをただ黙って聞いていた。
「死はいつも私のすぐそばにありました。 だから死ぬことは怖くありませんでした。……でも、 辛い別れはしたくなかったんです」
それは小さなころから繰り返し思い知らされた、終わりの来る明日。
俺が今まで考えたことすらないような恐怖を、妃茉莉はいつも身近に感じて生きてきたんだろう。
「誰かに目の前で泣かれたりしたら、きっと死ぬことが怖くなってしまいます。 だから人とはできるだけ距離を取っていました。 誰かをうらやんだり自分の運命を呪ったり、そんな風には生きたくありませんでした」
――そうか、だからあんな他人行儀なしゃべり方だったのか。
自分から一線を引いて壁を作り、誰とも親しくなり過ぎない。
平等に浅く付き合い、自分の存在を誰の心にも残さないように、静かにじっと生きる。
七瀬妃茉莉はうっかり存在を忘れちまうような、おとなしくてはかなげな印象だった。
でも、だけど……。
本当の七瀬妃茉莉は、芯が強くキラキラと輝くような生命力にあふれた存在だった。
「じゃあ、なんで俺を好きになったんだ」
ごく当たり前の疑問だった。
距離を取っていたのなら、自分から誰かを好きになることもしないはずだ。
現に妃茉莉は死んでもユーレイになっちまうぐらいに、この世に未練を残している。
「本当にそうですよね。これが私の最大の過ちです」
「…………」
今の俺は、妃茉莉の気持ちに応えることはできない。
だけど俺への気持ちを最大の過ちだなどと言い切られると、さすがにキツい。
まるで俺自身を否定されたような気分だった。
「あれは3年生になってすぐのころでした。 バスケットボール部の練習試合にクラス全員で応援に行こうという話になりました」
「あぁ、そういうの何度かあったな。お前も来てたのか?」
あとで礼を言うため応援に来てくれたヤツらはみんな確認してたはずだが、 一度だって妃茉莉を見た記憶はない。
強制じゃなかったし、他にも来ないヤツはいたから気にもしなかったが。
「病院の検査日でしたので行くつもりはありませんでした。 でもあの日は、思っていたよりも検査結果が良くて、ちょっと浮かれていたんだと思います。 たまたま明和高校が病院の近くでしたので、帰りに軽い気持ちで立ち寄ってみました」
久しぶりに聞いた他校の名前に、ふと苦い記憶がよみがえってきた。
「ちょっと待て。明和って確かあの試合、ボロ負けしたんじゃなかったっけ」
「そうです。私が顔を出したころにはもうすでに、すごい点差が開いていました。 バスケットボールのことは全然知りませんが、残り時間を見ても、 巻き返せるような点数じゃないことは分かりました」
「はは、情けねぇな」
「情けないことなんてありません! 私、すっごく感動したんです」
がばっと向きを変えると、妃茉莉が床に手をついた体勢で俺を見上げてきた。
まるで小さな子どものように瞳をキラキラと輝かせている。
「感動って……。あんなひでぇ試合のどこにそんなもんがあるんだよ」
劣勢から巻き返しての逆転勝利っていうなら感動もあるだろうが、手も足も出ずにボロ負けした試合だ。
せっかくクラスのみんなが応援に来てくれたのにと、正直しばらく立ち直れなかったぐらいだ。
「だってバスケットボール部のみんなも、クラスのみんなも、 誰一人諦めてなかったんですよ。私が見ても無理だって分かるぐらいの試合なのに、 必死に立ち向かって、最後の一分一秒まで諦めずに戦っていたんです」
「…………」
そんな見方があるなんて、考えたことすらなかった。
確かにどんなに点差が開いても、終了の笛が鳴るまでは簡単に諦めたりはできない。
そんなことしたら監督に怒られるしチームメイトに責められる。 応援に来てくれてるクラスのヤツらにも申し訳が立たない。
もっとも、それを抜きにしても自分から簡単に白旗なんか上げたくないだけなんだけど。
「その中でも一番、和馬くんが輝いて見えました」
「え、俺?」
ビックリして妃茉莉を見ると、反射的にパッと顔をそらされたが、 すぐに照れくさそうに笑いながら見つめてきた。
「そうです。もうダメだって雰囲気に何度も襲われるんですけど、 そのたびに和馬くんが大声上げて気合を入れていました。 和馬くんの諦めないって気持ちにみんなが引っ張られて、チームが動いて、応援が盛り上がって。 会場全体がすごい一体感でドキドキしました。試合には負けてしまいましたが、 私まで一緒に戦ったみたいな、なんとも言えない充実感でいっぱいでした」
その時の興奮を思い出したかのように、妃茉莉は嬉しそうに言葉を続けた。
〜 続く 〜