会える約束も何もないまま、俺は炎天下の中ひたすら待ち続けた。
大きなお世話だと言われるだろう。
でも、どうしても見過ごすことができなかった。
妃茉莉も弟の尽も間違っていないのに、相手を思う気持ちが全部すれ違ってしまっている。
俺が口出すことじゃないと分かっていても、これ以上あいつが悲しむ顔を見たくなかった。
今の俺を突き動かしていたのはその思いだけだった。
どれぐらい待っていたか覚えちゃいない。
それでも勢い任せで駆けつけてしまった気持ちを落ち着かせるにはちょうど良い時間だったかもしれない。
すぐ先の角を曲がってやっと現れた待ち人に、俺は静かに声をかけることができた。
「……昨日はどーも」
「――っ!」
尽は一瞬驚いたように立ち止まったが、俺の姿を見つけるなりキッと睨みつけてきた。
その視線が突き刺さるようで、また襟首でも掴まれるかと思わず身構えそうになる。
まだ幼さの残る顔立ちはどことなく妃茉莉と似ていて、だからこうやって睨まれると、 まるであいつに睨まれているような気分にさせられた。
だが尽はすぐに顔を背けると、足早に俺の前を通り過ぎようとする。
拍子抜けするような反応だったが、もしかしたら昨日お袋さんにでも叱られたのかもしれない。
俺を無視することで、必死に怒りを押し殺しているように見えた。
そしてその怒りの原因が俺であることが、たまらなく辛い。
相手を傷つけるだけの強い感情でも、ぶつけられた方が何倍もマシだ。
そうやって心にしまい込まれちまったら手出しができない。
もう俺の知らないところで勝手に物ごとが進んじまってて、 それにすら気づかずにのうのうと生きているなんてまっぴらごめんなんだ。
尽を引き留めるために、俺は手にしていた紙袋から妃茉莉のノートを取り出した。
「昨日のノート、返しに来たんだけど」
わざとらしく大きなため息をつくと、尽は俺と目を合わせないようにしながら、 無言でノートに手を伸ばす。
おおかた予想通りの行動に、俺はその手からひょいとノートを遠ざけた。
「返せっ!」
再び突き刺さるような視線が俺を睨みつけてきた。
少しでも気を抜くと噛み殺されそうな勢いだ。
このどこか痛みにも似た怒りの感情に呑まれたら、俺に勝ち目はない。
あくまで冷静に、だけど俺の方が有利な立場だという姿勢だけは絶対に崩せねぇ。
「お前に話がある。ノートを返すのはそれからだ」
尽に負けないぐらい強い意志を込めて言い返すと、弱々しく視線を反らされた。
「話なんかねぇよ。それ置いてさっさと帰れ。もう二度と来んな」
今の尽には強い怒りと深い悲しみしか残っていないようだった。
この相反する感情のバランスはものすごく危うくて、ちょっとした刺激で急にどちらかに傾いてしまう。
慎重に対応しなければ、きっとこのまま永遠に妃茉莉の話をすることなんてできないだろう。
だけど自分で言っちゃなんだけど、どうするのが良いかなんて分からねぇ。
頭を振り絞って考えてみたが結局これ以上なにも思いつかず、俺は潔く諦めることにした。
「悪ぃな、このノートは返せねぇ。それに話できねー限り毎日でも会いに来るから。 とりあえず今日のところは帰るわ。じゃあ、また明日」
軽く手を上げると、くるりと背を向けた。
ここで焦っても仕方がない。
こんなやり取りを繰り返すうちになんか良い案が思い浮かぶかもしれねぇし、 ひょっとしたら尽の気が変わるなんてこともあるかもしれねぇ。
それまでは勢い任せで押しかける以外、今の俺には策がなかった。
家に帰ろうと歩き始めたとき――
「……、待てよ」
なんの前触れもなく急に呼び止められた。
ビックリして振り返ると、尽は背を向けたまま突っ立っていた。
しばらく待ってみたが反応はない。
それでも立ち去るわけじゃないところを見ると、次の言葉のきっかけでも探しているのだろうか。
「なんだよ、気が変わったんなら大歓迎だぜ」
見えやしないと分かっていても、にやりと不敵に笑ってやった。
俺が懲りずに毎日待ち伏せすることが予想できたのか。 それとも今になって現れた俺がいったいなんの話をするのかやっぱり気になるのか。
この際どっちだってかまわねぇ。
せっかく掴んだチャンスを手放すなんてもったいない。
「そうと決まればちっと場所移そうぜ。お前の気が変わらないうちに」
俺は尽の肩を軽く叩いて促すと、妃茉莉の家とは反対方向に歩き出した。
「なんなんだよ、スズカ。お前、なにがしたいんだよ」
ぼそぼそと呟きながらも、尽はゆっくりとした足取りで俺についてきた。
〜 続く 〜