あんな一方的な口約束だったのに、それでも律義に来てくれたのか。
そう思ったら嫌でもその姿が妃茉莉と重なって見えて、自然と笑みがもれた。
「ホントお前らってよく似てる」
「誰の話、してんだよ」
「だから。お前と、お前のねえちゃん」
「…………」
それまで特に興味もなさそうに話していた尽が、ふと黙り込んだ。
ほんのちょっとしたその変化に、だけど俺は気付けずにいた。
そう、俺の頭の中は、どうにかして尽に手紙を読んでもらうことしか考えてなかったんだ。
「それはそうと、来てくれて良かった。お前に渡したいもんがあってさ」
強引に尽の手を掴んで、あの手紙を握らせる。
――どうか、妃茉莉の気持ちが届きますように……。
短い時間だったけど、強く強く、そう願ってから手を放した。
「信じる信じないはお前しだいだけど、ウソは一つもないから」
より説得力を持たせるためにも、自信満々に笑って、きっぱりとそう言い切った。
「和馬くん、待って……」
冷たい妃茉莉の手が、俺を引き留めるように腕に触れた。
振り向くと、珍しく厳しい顔をした妃茉莉が、俺じゃなく尽をじっと見つめている。
その尽はといえば、なにも言わずに渡した手紙の封を開けていた。
だからなにも心配することないって、大丈夫だって、そう妃茉莉に笑いかけようとした瞬間――……。
「――っ!!」
頬に勢い任せの鈍い痛みが走り、受け止めきれずに俺はその場に倒れ込んでいた。
「きゃああぁっ」
妃茉莉の悲鳴と、痛みでちかちかする視界の先に、尽が立っていた。
「は。笑えない冗談なんだけど」
吐き捨てるようにそう言うと、俺の目の前にぽとりと何かを落とした。
それがぐしゃぐしゃに握りつぶされたあの手紙だと分かって、そこで初めて俺は自分の状況がようやく飲み込めた。
「…………っ」
殴られた頬に手の甲を押し当てると、口の中に一気に血の味が広がった。
完全に油断していたからまともに尽のこぶしを食らったか。
ギリギリと胸が締め付けられるように苦しくて、軽いめまいに襲われる。
一瞬落ちた暗闇の中で、ただはっきりと思い知った。
こんなに俺は、――無力なのか。
「――すまねぇ」
握りつぶされた手紙をそっと拾い上げると、妃茉莉の小さな手がそれに重なった。
「あぁ、和馬くん。どうしてこんな……。ごめん、なさい……」
消え入りそうな声でそうつぶやいた妃茉莉は、今にも泣き出しそうな顔をしている。
伝わるわけじゃないけど、触れた妃茉莉の手が震えているのが分かった。
ただ、笑わせてやりたかっただけなんだ。
七瀬妃茉莉が自分の人生を精一杯生きたこと。それはなにも間違っちゃいない。
そのせいで周りに迷惑かけたから、だから俺を好きになったことを後悔するとか、 死んでも成仏できずにさまよってるとか、そんなのおかしいって思ったんだ。
天国ってもんがあるのかは知らねぇけど、 もしあるならそこでのほほんと幸せに暮らすってのがお似合いだろ。
それなのに妃茉莉はこんなに辛くても泣けず、言いたいことも伝えられず、 ただこうして一人で静かに我慢しなきゃならない。
ユーレイになってまで俺や尽に気を使って、いつまでも苦しみ続けるなんて間違ってる。
「……ひでぇこと、するんだな」
俺をにらみつける尽の目をまっすぐに見返しながら、俺は一呼吸おいてからゆっくりと立ち上がった。
「冗談だって? 俺がこんなこと冗談でやってると思ってんのかよ」
無力さと後悔と苛立ちとで、心の中はぐちゃぐちゃだ。だけど不思議と頭の中は自分でもびっくりするぐらい冷静だった。
「もうやめて。こんなことやめてください」
慌てたように妃茉莉が両手を広げると、尽との間に立ちはだかった。
「これ以上和馬くんに迷惑をかけられません。私はもういいです。もう、充分ですから……」
「……お前」
妃茉莉がここまで動揺してるってことは、俺が尽に殴られるなんて展開は想像すらしていなかったんだろう。
だけど俺はこれまでの尽の態度を目の当たりにしてたから、 油断してなかったとしても、一発ぐらい殴られるつもりだった。
「これぐらい覚悟の上でやってんだ。勝手に自己満足してんじゃねーよ。少し黙って見てろ」
俺はわざと妃茉莉の体をすり抜けると、尽に真っ向から向き合った。
妃茉莉がくれた冷たさが、頭の中と同じように心もすーっと落ち着けてくれたような気がした。
〜 続く 〜