尽は俺が面と向かってくるとは思っていなかったのだろう。
だからか、最初に目をそらしたのは尽の方だった。
「……スズカの考えてることが分かんねぇ」
足元に視線を落としながら、今にも消え入りそうな声でつぶやく。
「なんで今頃なんだよ。もうねえちゃんはいないのに……」
それがすべてだと思った。
妃茉莉が生きていた時は見向きもせず、葬式にも姿を見せず、 その想いすらなにも知らずにアメリカに行ってしまった男。
それなのに今になって急に現れて、周りをひっかき回されれば疑問に思うのも当然だろう。
「そのことについては言い訳するつもりはねぇよ。まさにお前の言う通りだし」
「だったら、なんで!」
尽がこぶしを振り上げたが、殴ることはせずに俺の胸の真ん中で、止めた。
「なんでそっとしておいてくれないんだ。スズカの顔見るとねえちゃんを思い出す。 辛いくせに無理して笑って。これで良いんだって、今にも泣き出しそうな顔で笑うんだ」
小さく震える肩から伝わるやるせない気持ち。
それは俺だってひしひしと感じている、どうにもできない深い痛み。
もちろん突きつけられたこぶしに手を伸ばし、傷をなめあうことだってできる。
だけど、隣で妃茉莉が違うと必死に頭を振っているんだ。
今やるべきことは過去を悲しむことじゃなく、その小さな背中を押して未来へと進めること。
「だから、それが違うんだろ」
妃茉莉が伝えられない代わりに、俺が言葉にするしかなかった。
「お前になにが分かるって思うかもしんねーけどさ、俺にだけ見えるんだよ。 つーか、お前のねえちゃんがここにいて、全否定してんだけど」
尽のこぶしをつかむと、思い切って妃茉莉に触れさせる。
急にヒヤリとした冷たい感触に襲われて、尽が反射的に俺の手を振り払った。
「えっ……」
驚いたように、妃茉莉に触れた自分の手を見つめている。
「わりぃ。頭からっぽにして、とりあえず俺の話を聞いてくれ」
もう小手先の言葉じゃ伝えきれないし、ましてや信じさせるなんてできないと思った。
「どうしてか分かんねぇけどお前のねえちゃんはユーレイになってんだ。しかも俺にしか見えない。 だから俺はユーレイになったお前のねえちゃんをなんとかしてやりたくて、今さらだけどいろいろと動いてんだよ」
「…………」
はたして信じただろうか。――いや、信じさせるしかないんだ。
妃茉莉に触れた感触を土台に、俺はとにかく信じさせるだけの言葉をぶつけるしかなかった。
ぐしゃぐしゃに握りつぶされた手紙をできるだけきれいに伸ばしてから、もう一度尽の前に差し出す。
「この手紙だってお前のねえちゃんの言葉をそのまま俺が代わりに書いただけなんだ。 だいたい俺が想像で書けるような内容じゃないことぐらい、読めば分かるだろ」
「――そう、だけど……」
まだ混乱しているのか、尽は半ば言われるままに手紙を受け取った。
俺は独り言のようにつぶやきながら、今までのいきさつを軽く説明する。
「ユーレイになって現れたのは8月の初めごろだったか。俺はアメリカ留学に悩んでて、お前のねえちゃんにすっげー叱られたっけ。俺にしか見えねぇから一緒にいる時間も長くて、いろいろ助けてもらったんだ。 だから今度は俺がなにかしてやりたくてさ。今日のことも全部俺が勝手にやってることなんだ。 当の本人はどうして良いか分からずに困った顔してる」
からかうように指さしてやったら、妃茉莉も少しだけ笑い返してくれた。
「や、ちょっと待って。ねえちゃんがユーレイになって、スズカにしか見えなくて、今ここにいるって?」
なんとかそこまで言うと、今度は急にバカみたいに笑い出した。
「あはははは。いや、なにを言い出すかと思ったら、まさかユーレイね。それを俺に信じろってこと。 いや、あははは。本気で笑えるんだけど」
「……っ」
腹を抱えて笑う尽の残酷さに、俺はこぶしを握り締めた。
そりゃ信じるわけねぇよな。俺だって同じ立場ならきっと笑い飛ばしていただろう。
それが自然な反応だ。誰が見えもしないユーレイの存在を信じるってんだ。
しかも妃茉莉の想いにすら気づけなかった薄情な男の言葉を、すんなりと受け入れる方が無理な話なんだ。
「すまねぇ、これが俺の限界だ……」
この状況をひっくり返す方法なんて、もうどこにもないことぐらい分かりきっていた。
潔く頭を下げてみたものの、自分の身勝手な行動が招いた結果をどう埋め合わせれば良いのか。
なすすべもなく妃茉莉に視線を向けると、意外にも幸せそうな顔で笑っていた。
なんで、とそう問いかけようとした言葉は尽の声にさえぎられる。
「――ねえちゃん……」
「えっ」
あれほどバカ笑いしていたはずの尽が、いつの間にか黙り込んでいた。
そしてあまりに唐突に、ぽつりと妃茉莉を呼んだのだ。
静かな水辺に波紋が広がるように、ありえない可能性がじわじわと広がっていく。
「……ねえちゃん、いるのか」
なにもない空間に向けて、すがるように手を伸ばす。
不安と願望と迷いと、たくさんの感情を乗せたその手に応えるように、妃茉莉がそっと尽に寄り添った。
「うん。ここにいるよ」
どうやら妃茉莉はとっくの昔にこうなることが分かっていたようだ。
俺の言葉よりもずっと強い絆のようなものが、今の二人を結び付けているように見えた。
「あはは、冷たい。ユーレイだから?」
「うん、そうみたい。ずっと誰かに触れるのが怖かったけど、 今は私の存在を伝えられる方法があって良かった。尽に分かってもらえて、良かった」
妃茉莉の声は尽には聞こえないはずなのに、不思議と二人の会話はかみ合っていた。
夕日に照らされて赤く色づく二人の姿はなんだかキラキラと光って見えて、不覚にもキレイだ、などと思ってしまった。
〜 続く 〜