第30話 投影

積もる話もあるだろうってことで、妃茉莉とはいったん公園で別れることになった。


大したことはしてねぇが結果オーライだろ。


不器用な姉弟の気持ちがようやく通じたことに、俺は自分で思う以上に浮かれていたのかもしれない。

軽い足取りで家のリビングに入っていったら、ビックリしたお袋に詰め寄られてしまった。

「ちょっとなにそれ。ケンカでもしてきたの」

尽にぶん殴られたことをすっかり忘れていた。

さすがにこんなに頬が腫れていたら、下手なウソでごまかせる気がしない。

「あー、尽とちょっとあって……。って、別にいいだろ。こっちにもいろいろあんだよ」

説明しようにもどう話せばいいのか分からなくて、結局部屋に逃げ込むことにした。

だが、リビングを出ていこうとした時、ふいに聞こえてきたお袋の言葉に思わず足が止まる。

「……ちょっと待って。え、尽くん?」

お袋の口から尽の名前が出てくるとは思わなかった。

それもどことなく親しげな雰囲気すら感じる。

「お袋、尽のこと知ってんのかよ」

「そう、やっぱりそうなのね……」

俺の声なんか聞こえてねぇみたいに、一人納得した顔で考え込んでやがる。


――またかよ。まだ俺の知らないなにかがあるって言うのかよ。

そのたびに俺は妃茉莉についてなにも知らないのだと思い知らされる。

そして妃茉莉に関わる人間がなにも教えてくれないことにいい加減腹が立った。

どこまで俺と妃茉莉を関わらせないようにするんだ。その意味も理由もさっぱり分からねぇ。

「意味分かんねぇんだけど。ちゃんと説明しろよ」

苛立ちとともに強引に噛みつくと、逆に鋭い視線が返ってきた。

「むしろこちらが説明して欲しいぐらいよ。なんで和馬が尽くんと会っているの。 そうよ、あの雨の日。ほら、雷が鳴ってた土砂降りの夜よ。 あのとき和馬は七瀬に会いに行くって言ったじゃない。 まさかって思っていたけれど、本当に尽くんと会っていたなんて……」

――違う。あの時は家を出て行った妃茉莉を探しに行ったんだ。

だけど本当のことは言えない。

妃茉莉がユーレイになったなんて、あいつの許可なくしゃべっていいことじゃないし、第一俺の頭がおかしくなったって思われるのがオチだろう。

ここは黙って勘違いさせておいた方が都合がいい。

「別に俺が尽と会ってたっていいだろ。だいたい妃茉莉のことだってなんでみんなして俺に隠してんだよ。 おかげで俺はあいつのことをただのクラスメイトってだけで、実際忘れかけてたし。これじゃあいつも浮かばれないだろ」

「違うわ、そうじゃないのよ。妃茉莉ちゃんがそう望んだからなのよ」

「あいつが……?」

その言葉にお袋は黙ってうなずくと、キッチンまで歩いていき、俺と自分の二人分のコーヒーを淹れてくれた。

椅子に座って熱いコーヒーを飲むと、マンデリン特有の苦みとコクが口いっぱいに広がった。

この濃さがまるでお袋の心を写し取ったみたいに思えて、気軽に文句を言うことすらできない。

「卒業してからしばらく経ったころかしら。突然妃茉莉ちゃんが家を訪ねて来てね、 和馬に内緒で留学の見送りがしたいと言い出したの。 私は隠さずに大々的にやればいいのにって言ったんだけど、 驚かせたいからってその一点張りで。それで和馬に内緒で協力していたのよ」

妃茉莉との思い出話を語るにしては、やたらと苦しそうな表情だ。

もちろんこの話は、妃茉莉が死んじまって見送りがダメになったって結末なんだから、 仕方ないのかもしれないが。

「協力していくうちにだんだん分かってきたんだけど、妃茉莉ちゃん一人で計画して頑張っていたのよね。 結構行き詰っていたみたいなの。しかもそうなることも予想していたみたい。 ダメだったら最初からなかったことにしようって、そう考えて和馬に内緒にしていたんだって、そのうち分かってきてね」

きっとお袋も尽と一緒で、近くでそんな妃茉莉をずっと見ていたんだろう。

もっと妃茉莉が報われる方法だってあったはずなのに、それでも見ていることしかできなかった。

そして結局俺にはなにも伝わることなく、妃茉莉は一人で死んじまった……。

「クラス全員じゃなくて妃茉莉ちゃんだけで見送りしようって言ったこともあったわ。 でもそれじゃ自分の想いに気づいてしまうからダメだって。自分はただのクラスメイトで、 そのうち忘れられる存在でいいんだって。本当にあの子、必死にそう願っていたから。 まるで遺言みたいに思えて、どうしても今まで話せなかったのよ……」

「そう、か……」

フタを開けてみれば、案外簡単な答えだった。

妃茉莉の言動も、周りの誰もが俺になにも言えなかった気持ちも、これでようやく理解できた。

――妃茉莉がそう望んだから。これほどに分かりやすい答えもないだろう。


お袋は手にしたコーヒーカップを見つめながら、でももっと別の遠くを見ている気がした。

しかし少しの沈黙の後、再びお袋が口を開いた時には、いつもの明るい笑顔が戻っていた。

「妃茉莉ちゃんね、アメリカで手術する話が出ていたみたいなのよ。 だから和馬と自分を重ね合わせていたように思うの。 和馬がアメリカで頑張ることが、病気と立ち向かう勇気につながっていたんじゃないかな。 だから妃茉莉ちゃんのことを知っても、それでも和馬が留学をあきらめないでくれてよかったわ。 それこそ妃茉莉ちゃんも浮かばれるでしょう」

目的は違っても同じアメリカの地を目指した者同士。

妃茉莉が最後まで守り抜いた俺の気持ちと自分の純粋な想い。

そして妃茉莉を助け見守っていたたくさんの人の優しさといたたまれなさ。

それらが全部合わさって、ユーレイとして存在する妃茉莉のすべてを作り上げたように思えた。


だからきっと俺にしか妃茉莉の声も姿も分からないんだ。

俺に分からなければ妃茉莉がユーレイである意味がないんだ、きっと。

「話してくれてありがとな。おかげでいろいろ吹っ切れた。ようやく自分のやるべきことが分かったぜ」

俺はしっかりとこぶしを握り締めると、強い意志をもってリビングを後にした。

〜 続く 〜

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