第3話 思い出

七瀬が俺の部屋に住みつくことになっても、意外なことに生活はなにも変わらなかった。

なんでもユーレイはご飯も食べねぇし、風呂にも入らないらしい。

物に触ることができねぇから当然と言えば当然なんだが。

一番心配していた寝床については、眠らないから必要ないとあっさり断られた。

むしろ夜はユーレイの時間ですから、なんて妙に気になることを笑顔で言われて、 俺の背筋をぞくりとさせたもんだ。


時々ふらりと外出することもあるが、俺の部屋にいる時は特になにをするでもなく、 たいがい隅っこの方で小さくなっている。

つまんねぇだろうなと思って見ると、なにが楽しいのかニコニコしていることが多い。

まぁそういうところが七瀬らしいと言えばそうなんだけど。

結局俺たちは一緒の部屋にいるだけで、ほとんど話すことはなかった。


そうやって今日も部屋の隅で小さくなっていた七瀬が、突然慌てたように立ち上がった。

「悪りぃ。ビックリさせちまったか」

俺が床にばらまいちまったペンケースを見て、七瀬が静かに頭を振る。

「いいえ。 落ちるのは分かっていたのですが……」

そう言って散らばった床を見つめる横顔は、なぜかとても悔しそうだった。

別に七瀬のペンケースでもなければ、七瀬のせいで落ちたわけでもない。

だけどいつもそんな風だった気がする。

いつだって自分よりも他人のことばかり気にかけているような、そんなすげー損な性格。


だけどそういえば、と俺はふと思い出した。

確か俺もそんな七瀬に助けられたことがあったはずだ。

なんだったか思い出そうと考えていたら、妙に明るい声が聞こえてきた。

「あぁ、これはもしかして!」

「えっ?」

「まだ持っていてくれたのですね」

突然のことに状況が飲み込めず、俺はついぽかんとしちまった。

七瀬は床にしゃがみ込むと、少し興奮気味に言葉を続ける。

「これです。この消しゴムです」

「消しゴム?」

言われるがままに見てみれば、落としたボールペンや鉛筆の中に、 やたらと可愛らしい消しゴムがまぎれていた。

それを拾い上げて、ようやく俺は思い出す。

「そっか。これ、 お前がくれたんだったよな」

「はい、そうです」

嬉しそうに笑顔を浮かべる七瀬を見ていたら、おぼろげだった記憶が呼び起こされる。

「確か俺が消しゴム無くして困ってたら、 隣の席だったお前がこれを使えって……」

別に俺は無くしたとも言ってなけりゃ、七瀬に貸してくれと頼んだわけでもねぇ。

なのに、どうぞと言ってスッと消しゴムを差し出した七瀬の行動に、 ものすごく感動しちまったっけ。

だから柄にもなく、女に礼をしようなんて思ったんだ。

だけど……。

「そっか。ちゃんと礼するとか言っておいて、 結局なんにもしてなかったんだよな」

なんて薄情なヤツなんだ、と過去の自分を恨めしく思う。

対する七瀬は、どこかキョトンとした表情だ。

「あら、そうでしたか?」

あまりににこやかな笑顔で返されると、思わず乗せられそうになっちまう。

絶対七瀬も分かっているはずだ、俺が礼なんかしていないことを。

でもそれを責めるわけでもなけりゃ、期待するわけでもねぇ。

俺に気を使ってか、さらりと流してそんな話は無かったことにしようとする。

「欲がねぇよな、お前って」

七瀬の優しさなのかもしれねぇが、ここで話を終わらせるには後ろめたさを感じた。

せっかく思い出したんだ。

この機に恩はしっかり返しておきたかった。

「あー、やっぱさ。今さらな話で悪ぃけど、 なんか礼をさせてくれよ。 欲しいものとか、やりたいこととか。もちろん俺にできることだけどさ」

「そのお気持ちだけで充分です」

やはり一筋縄では行きそうにない。

ここは多少大げさにでも言わねぇと、頷かせるのは無理そうだ。

「でもそれじゃ俺の気が済まねぇ。 これから先、一生お前に頭が上がらねぇじゃねーか」

「一生、ですか?」

驚いたように問い返す七瀬に、俺はきっぱりと言い放つ。

「お前との縁はそう簡単には切れそうにねぇからな。 これから先つき合っていく相手なら、ちゃんと対等じゃねぇと。 最初から貸しがあるなんて冗談じゃねぇ」

「あの、でも。私はユーレイなんですよ」

「ユーレイだろうとなんだろうと、 お前が七瀬妃茉莉なのには変わりねぇだろ。 俺はお前をユーレイだとは思ってねぇんだから、自分から妙な線引きはすんな」

「でも、あの……」

そこまで言いかけて、七瀬は急に黙りこんだ。

そして顔を真っ赤にしてうつむくと、消え入りそうな声でありがとうございます、と告げる。

あまりに素直に喜ばれてしまい、見ているこっちまで気恥ずかしくなってきた。

「だから、ほら早く。 なんかして欲しいこととか言えよ」

「和馬くんのそのお言葉だけでも十分なぐらいなのですが。 でも、そうですね。もしお願いを聞いてくださるのならば……」

「お、おぅ」

自分から急かしておいて、いざとなったら妙に緊張した。

なにを言われるのかと内心ビクビクしていると、嬉しそうな顔で七瀬が口を開く。

「和馬くんと一緒にお出かけがしたいです」

「え? あぁ。はぁ……」

七瀬らしいと言えばそうなんだが、意外に素朴な願いすぎて、 俺はなんとも間抜けな返事しか出来なかった。

〜 続く 〜

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