第5話 二人の距離

散々な目に遭ったが、そんな外出がきっかけで、俺と七瀬の関係は大きく変化した。

なにしろヒマを持て余していた俺にとって、七瀬はちょうど良い話し相手だった。

いつだって七瀬の立ち位置は常に俺から一歩引いた距離だ。

必要以上に近すぎず、かといっていないと感じるほどには遠くない。

この微妙な距離感が今の俺にはひどく心地良かった。

それがどうしようもない甘えだと分かっていても、求めずにはいられなかったんだ。

「おかえりなさい」

ドアを開けた途端、いつものように出迎えてくれる笑顔。

始めの頃はギョッとしたが、さすがに最近は慣れてきた。

「七瀬、暑いー!」

開口一番にそんなことを言う俺に、七瀬がすっと側までやって来る。

「サンキュ。助かるぜ」

相変わらず七瀬の体はひんやりとして気持ちが良い。

七瀬に触れているだけで真夏の暑さが嘘みたいに快適になる。

「天然クーラーだよな」

思わず口を滑らせちまっても、七瀬はイヤな顔ひとつしない。

「……」

ある意味完璧だが、それが逆に引っかかる。

対等じゃないと言うか本音が見えないと言うか。

別に怒られたいわけでもねぇんだが、とにかく気分がスッキリしねぇ。


俺はため息をつくと七瀬から離れた。

途端に夏の熱気が戻ってきて気分がさらにげんなりする。

「怒んないのかよ」

半ばどうでも良い気がしたが一応尋ねると、予想通りに笑顔が返ってきた。

「和馬くんのお役に立てるなら光栄です」

「はぁ。そんなもんかよ」

やっぱ七瀬の考えていることは分からねぇ。

ときどきこいつって自分の意思とかあるのか?  と言いたくなるぐらい相手に合わせてばかりいる。

まぁ高校のときからこんなだったから、今に始まった話じゃねーけどさ。

「そういや、部屋に戻るたびにおかえりって言うの止めねぇか。 いちいち変だろ」

「そうですか?」

外から帰ってきて言われるならまだしも、 七瀬の場合は飯や風呂やトイレなんかから戻るだけでも言われちまう。

これもどうでも良いことなんだけど、毎度のことにやっぱり違和感があった。

「お前さ、なんで家にいる間は俺の部屋から出ないんだ?」

俺の質問になぜか少しの間を置いてから七瀬が答える。

「それはその……、居候の身ですから」

「どーせ見えやしねーのに」

「……そう、ですよね」

なんだよ。なんか悪いこと言ったか、俺。


窓の外を見つめる七瀬の横顔がすげー寂しそうだった。

七瀬は俺の部屋にいてもときどきこんな顔をする。

そりゃ突然ユーレイになっちまっていろいろと思うもんがあるんだろうが、 七瀬はなにも言わないし、俺もあえて聞きはしなかった。

「わりぃ。言い過ぎたか」

後味が悪くて謝れば、七瀬は決まって笑顔を見せる。

「いいえ、そうではありません」

七瀬はきっと相手がどんなに悪くても、絶対にそうだとは言わないんだろうな。

信じられないがそんなことがサラッとできちまうんだ。

いつもはぼけーっとしててバカみたいに笑ってるだけなヤツなのに。

ホント、なに考えてるか分からねぇよな。

そんな七瀬が申し訳なさそうに口を開いた。

「私、これ以上和馬くんに迷惑をかけたくないんです」

弱りきった口調で細々と続ける。

「和馬くんの言うとおり、私の姿は他の人には見えません。 でもそのせいで和馬くんが周りから変な風に見られるのがイヤなのです」

「まだ気にしてたのかよ」

「だって……っ!」

確かに一緒に外出したときはヤバかったが、 家の中ぐらいならごまかしも利くだろう。

「変もなにもお袋や親父が相手なら大丈夫だろ。一緒に来いよ」

「え、あの。でも……」

まだなにやら渋る七瀬を見ていたら、だんだん面倒になってきた。

俺は小さく舌打ちするとさっさと一人で部屋を出る。


ついてこなけりゃそれでいい。

だいだい七瀬になにがしたくて家ん中を連れ回そうと考えたのかも分からねぇ。

話せるわけでもねぇのに家族紹介したって無駄だし、 案内するほど広い家でもない。

「あの、和馬くん! 待ってください」

慌ててついてきたところを見るとやっぱ遠慮してただけなのか。

そう思ったら少しだけホッとした。

なんでそう思ったのかは分からねぇけど。


とりあえず七瀬に家の中を手当たり次第に案内した。

そしてふと、どうして七瀬を連れ出したのかが分かった気がした。


俺の部屋だけじゃなくもっと行ける場所が増えれば、 退屈せずに済むんじゃないか。

俺の家族がくだらねぇこと話して、それを七瀬も一緒に笑ったりなんかして、 そしたら少しは楽しめるんじゃないか。

そう、俺は七瀬に楽しんで欲しいんだ。

さっきみたいな寂しい顔なんか見たくない。

少なくとも俺の側にいるときぐらいは、満足そうに笑っていて欲しい。

そうしねぇと俺は自分のズルさが許せなくなっちまう。


七瀬とは対等な立場が良い。

制限もしないし、遠慮もいらない。

ただもう少しだけ、この俺のくだらない茶番につき合って欲しいだけなんだ。

「これからはもっと自由にしろよ」

「あの、ありがとうございます」

俺の思惑なんかなにも知らない七瀬は、 素直に礼を言って深々と頭を下げた。

〜 続く 〜

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