夕方になって一本の電話が鳴り響いた。
面倒なので居留守でも使おうと思ったが、 七瀬があまりにうるさく言うので、結局電話に出る羽目になった。
「はい、鈴鹿です」
超絶不機嫌な俺の声に、電話の相手が小さくククッと笑う。
「久し振りだな、鈴鹿。元気そうでなによりだ」
受話器から聞こえてきた懐かしい声に、思わず背筋がピンとなった。
「え、なに。氷室……、先生?」
「そうだ、氷室だ。話しておきたいことがあるのだが、 時間は大丈夫だろうか」
「…………」
いつまでも逃げられるわけじゃないのは分かっていたが、 それでも電話に出たことをものすごく後悔した。
焦りで手のひらがじんわりと汗ばみ、喉がカラカラに渇く。
「わりぃ、今から出掛けるから無理だ。じゃあな」
「待ちなさい、鈴鹿!」
氷室は話を続けようとしたが、強引に電話を切ってしまった。
大きく深呼吸を繰り返してもまだ心臓がバクバクと高鳴っている。
また電話がかかってくるんじゃねぇかと怖くなり、 俺はさっさと自分の部屋に逃げ込むことにした。
そうだ、頭から布団でもかぶって寝てしまおう。
嫌なことは忘れちまうのが一番だ。
しかし部屋で俺を待っていたのは、 恋しい布団じゃなくてお節介なユーレイだった。
「電話はもう終わりましたか?」
それは特に意味のない言葉だったんだろうが、 俺は異常なほどに敏感になっていた。
「お前には関係ねぇだろ」
キツい口調で言い放つと、七瀬は驚いたように目を見開いた。
「……そう、ですね」
それ以上はなにも言わず、また部屋の隅で小さくなる。
そんな態度が何故か無性に腹立たしかった。
「だいたいお前が電話に出ろってうるさく言うから……」
「ごめんなさい!」
俺の言葉を遮るように、七瀬が間髪入れずに謝った。
「でしゃばったことをしました。本当にごめんなさい」
こんなのただの八つ当たりなんだ。
ヒザを抱えて座り込む七瀬の姿を見ていたら、さすがに自分の言動を反省した。
――なにやってんだ、俺。
大きなため息をつくと、気持ちを落ち着かせようと乱暴に頭を掻いた。
七瀬に当たってどうすんだ。
こいつの性格を考えりゃ電話は無視できないだろうし、 たまたま今回はタイミングが悪かっただけなんだ。
七瀬を責めたって俺の問題が解決するわけじゃねぇ。
ちゃんと自分でケリをつけねぇといけないんだ。
「まぁ、もういーや」
投げやりにそう言うと、俺はドサッと布団に倒れ込んだ。
そうは言ってもどうしたものか。
日本に戻ってきてからずっと周りに甘えて逃げ続けて来たんだ。
俺はまだ結論を出せていない。
いや、気持ちは今でも変わらねぇ。だけど……。
窓の外に広がる青空を睨みつけながら、遠いかの地を思い出す。
――だけど、俺は……。
「あの……」
不意に割って入ってきた言葉にドキリとさせられた。
「な、なんだよ」
慌てて七瀬を見ると、さっきと同じようにヒザを抱えたまま、 どうしようかと迷っているような顔だ。
「いいえ、なんでもありません」
結局口をつぐんでしまう。
だったら最初からなにも話すなとか思っちまう。
「なんだよ、言えよ」
「え……。でもまたお節介になりますし」
「どうせさっきの電話が気になるんだろ」
ふいっと顔をそらしてため息混じりに言った。
本当にお節介だぜ、うんざりする。
イライラする俺に七瀬はすごく控えめに口を開いた。
「えぇ。氷室先生はお元気そうでしたか」
「別に、変わんねーよ」
「そうですか」
どこか満足そうな声を聞きながら、俺はハッとして布団から飛び起きた。
「お前、聞いてたのかよ!!」
あまりにさらりと言われたからうっかり聞き流しそうになっちまったが、 俺は電話の相手が氷室だったとは一言も言ってねぇ。
ひょっとして会話を全部聞かれてたのかと、妙な焦りに襲われる。
「いいえ。ずっとここにいましたから」
「じゃあなんで氷室からの電話だって分かったんだよ!」
自然と口調が強くなるにつれ、七瀬はますます肩をすぼめて小さくなった。
「戻ってきてから随分とご機嫌を損ねていたようでしたので、 恐らく留学についてのお話だったのかと思いました。違うのでしたらすみません」
それこそ土下座でもしちまいそーな勢いで七瀬が謝る。
「お前、なんで……」
もしかしたらユーレイだから電話の内容を聞けたりしたのかと疑ったが、 やはり七瀬はなにも聞いちゃいない。
氷室が留学のことを切り出す前に、俺が強引に電話を切っちまったんだ。
まさか氷室が話そうとしていた内容までもが分かるほど、 ユーレイが便利な存在だとは思えねぇ。
「留学の話って、どこまで知ってんだよ」
無理に焦りを隠そうとするからか、俺の口調はトゲトゲしい。
すっかり怯えてしまった七瀬は今にも消え入りそうな声で答える。
「来月からアメリカ留学に行かれることぐらいしか……」
「ウソだろっ!!」
頭にカッと血が上り、気がついたら叫んでいた。
こんな見え透いたウソなんか聞きたくない。
ましてや哀れみも軽蔑もまっぴらだった。
そんなものが欲しくて、今まで逃げていたわけじゃないんだ……。
「なんでウソをつく? 同情のつもりか? それともバカにしてんのか!?」
七瀬の肩を掴む勢いで、まくし立てるように問い詰める。
「アメリカから逃げ帰ってきたこと、どこで知ったんだ! 答えろ!!」
詰め寄る俺に、七瀬は少しの間を置くと、やけに冷静な声で答えた。
「……逃げる?」
そこには今まであった怯えや、いつもの優しい笑顔は一切ない。
あるのは大人びた冷ややかな視線。
急に現実を突きつけられたような気がして、俺はごくりと息を呑んだ。
〜 続く 〜