嬉しそうに帰っていく後姿を見送りながら、 俺の口からはため息以外なにも出てこなかった。
期待していなかったと言ったら嘘になる。
だってそうだろう、明日はバレンタインデーなんだぜ?
今日俺の家に行きたいなんて言われたら、誰だって期待するだろ。
「なんで俺が他の男にやるチョコを作らなくちゃいけねーんだよ」
のど元まで出かけた言葉を、結局俺は最後まで言うことが出来なかった。
だってあいつはすごく真剣で、すごく一生懸命で、そしてすごく楽しそうだったんだ。
「明日、どんな顔して渡すんだろーな」
相手の男のことを考えたら、めちゃくちゃなレシピで作ってやれば良かったとか、 そんな子どもじみた発想が浮かぶ。
でもそれじゃ結果的に俺の料理の腕を疑われかねない。
それはプライドが許さなかったし、なによりもそんなことをしたらもう二度と、 二人でキッチンに立つことはないだろう。
別に楽しかったのはあいつだけじゃない。
俺もまぁ、あいつのエプロン姿とか、あまりに頼りない手元とか、 うまく出来ないって涙ぐんだり、俺の手さばきを感動のまなざしで見つめてたり、 そんな姿を楽しんでた。
そして明日、ちゃんと渡せたよって俺に報告するあいつのとびきりの笑顔を、 今日の報酬として受け取ってやろう。
ぐるぐると回り続けた思考の末、俺はなんとかそんな結論を導き出すことができたんだ。
***
「瑛くーん!」
背後から聞こえてきた声に、慌てて愛想笑いを作る。
今日はこれで何回目だ? なんて思いながら振り返ったら、 幸か不幸か、そんなものは必要のない相手だった。
「……なんだ、おまえか」
「なんだはないじゃない。――わぁ、今年もすごいね!」
両手に抱えたバレンタインチョコの贈り物を見て、 あいつはどこか楽しそうに言った。
こっちは楽しいことなんて何もないというのに。
「昨日はありがとうね」
「どーいたしまして。で、ちゃんと渡せたのか?」
機嫌のよさそうな顔を見る限り、聞くまでもないと思った。
「あ、そうそう。これね」
しかしあいつはさらりと話を変えると、持っていた紙袋を俺に差し出す。
「ハッピーバレンタイン!」
「そりゃどーも」
「えー。もうちょっと喜んでくれても良いじゃない!」
昨日二人で作ったチョコケーキに比べたら、 ただのお礼の義理チョコでどうやって喜べと言うんだか。
「これ以上荷物を増やされても困る」
口ではそんなことを言いながらも、渡されたチョコは他のと区別するよう、 しっかり右手で握りしめる。
「……だから」
「え?」
不意に聞こえてきた声がさっきと違っていて、慌ててあいつへと目を向ける。
そして、俺を睨み付ける強い視線とぶつかった。
「これは世界中で一番美味しいのなんだからっ!」
なぜかものすごく怒ってて、しかも涙目でそんなことを言われて、 俺は思わずキョトンとしてしまった。
「なに怒ってるんだよ。ただの義理チョコだろ?」
「なんで私が瑛くんに義理チョコをあげなくちゃいけないのよ!」
「だって本命は……って、えぇっ!?」
俺がもらったチョコが義理じゃないってことは、つまりこれは……。
思わず他のチョコをボロボロと取り落としながら、 俺は今さっきこいつからもらったばかりの包みを開ける。
中から出てきたのは、間違いなく昨日二人で作ったチョコレートケーキだった。
「瑛くんは他の女の子からいっぱいチョコをもらうから、 そんなのに負けないような、世界一美味しいものをあげたかったの」
驚きすぎて言葉も出ない俺に、あいつは必死で言葉を続ける。
「いろいろ考えたんだけど、 私が知ってる一番美味しいのは瑛くんの作ったものだから。 だから昨日お願いして一緒に作ってもらったの。たった一つしかない、特別なチョコを」
つまり、それを俺は勝手に他の誰かにあげるものだと勘違いしたらしい。
――って、そんなの分かるか、紛らわしすぎるだろっ!!
「あぁー! こんなことならヤキモキするんじゃなかった」
一気に体の力が抜けて、俺はガックリと大きく肩を落とす。
「そう、だったの?」
「だって、いきなりバレンタインチョコの作り方教えろって言われたら、 てっきり他の男にやるもんだと思うだろ」
やっと吐き出せた心のうちを、あいつはやたらと嬉しそうに聞いている。
「良かった。瑛くんが受け取ってくれて。 ちゃんと喜んでくれて、本当に良かった」
そう言うと、あいつも気が抜けたのかヘナヘナとその場に座り込んでしまう。
「ごめんね、ごめんね。ありがとうね」
今にも泣き出しそうな顔で、でも必死に笑顔を向けてくれた。
お互い不安だったのかもしれない。
いらない心配をして、たくさん遠回りして。
答えはこんなに近くにあったのに。
「じゃあ来月も一緒に作ろうか。世界一美味しいホワイトデーのお菓子を、さ」
そう言って差し出した手を、あいつは素直に掴んでくれる。
「うん、一緒に作ろうっ!」
今度はもう他の誰かを羨んだりせず、一緒に楽しく作れるだろう。
俺にはこの手のぬくもりと、とびきりの笑顔があるのだから。
〜 Fin 〜