紙ヒコーキ 〜for.和馬1


言葉はいつも無意味で、本当に伝えたいことは、 いつだってあいつに言えやしない。

もしこの手の中にある紙ヒコーキが俺の言葉を伝えてくれるなら、 この気持ちをあいつに届けてくれるなら――。

そんなバカバカしい願いがあったわけじゃない。

そう、俺の飛べない空を、どこまでも果てなく、 ただまっすぐに飛ばしてやりたかっただけなんだ。

「あ、落ちた……」

願いも虚しく、俺の手を離れた紙ヒコーキは、 くるくると旋回して落ちていく。

「折り方、間違えたかもしんねぇな」

ぶざまに落ちていく姿はまるで自分自身を見ているようで、 思わず苦い笑みが浮かぶ。


――まぁこんなもんだろ、現実なんて。

窓枠に置いた腕にあごを乗せて、ぼんやりと黄昏に染まる空をながめた。


部活後の疲れ切った体はだるく、思考回路だってまともに働きはしない。

だけど、こんなときはなぜか無性にあいつの笑顔が見たくなってしまう。

きっと誰もいないこの教室が、静かすぎるせいだろう。

「こらー、和馬くーん!」

「えっ?」

聞き慣れた声が耳をかすめ、俺はふっと現実に引き戻される。

視線を落とすと、ちょうど学生門に通じる道がある。

その道の真ん中で、俺の飛ばした紙ヒコーキを持ったあいつの姿が見えた。

「やべっ!」

俺は身をひるがえすと、隠れるようにその場にしゃがみ込む。

窓から身を乗り出していなければ、外から俺の姿は見えないだろう。

壁に寄りかかって、ふぅとため息をつく。

よりによってあいつに拾われちまったか。

「あー。あいつ、絶対ここに来るな」

紙ヒコーキなんか飛ばすんじゃなかった。

どうにもならない後悔に苦い笑みを漏らし、遠い天上を見上げる。

カンカンに怒ったあいつの顔が浮かんできて、 それが妙におかしくて、肩を揺らして笑った。


遠くからぱたぱたと駆け寄ってくる足音が聞こえたかと思ったら、 勢いよくドアが開く。

「なんで逃げるかなぁ」

予想にたがわず、頬をふくらませたあいつが教室に乗り込んでくるのに、 それほど時間はかからなかった。

なにも言わずにいると、あいつは諦めたようにため息をついて、 俺の方に向かって歩いてくる。

「これ飛ばしたの和馬くんでしょ?  私の頭に当たったんだよ」

床に座り込んだままの俺を見下ろしながら、 あいつは手にした紙ヒコーキをご丁寧に広げてみせる。

「しかもなにこれ。 でかでかと私のことバカって書いてあるじゃないの」

俺は目の前に突きつけられた紙を、まるで奪うように取り返した。

ほんの少し触れたあいつのきゃしゃな指を、 できればこのまま掴んで引き寄せたい。

そう思う気持ちを抑えるように、手の中の紙をぐしゃりと握りつぶす。

「別に。本当のことだろ」

「うぅ〜」

目をそらして素っ気なく答えると、 あいつは悔しそうに唇を噛んで小さくうなる。


分かってんのか、こいつ。

そういう仕草一つ一つが、俺の心に火をつけているってことを。

それと同時に、思い知らされる。

そうやって俺の前で無邪気に笑ったり怒ったり悔しがったりするのは、 その対象が友達という一線を越えないから。

あいつは同じ目線までかがみ込むと、俺にずいっと顔を近づけた。

友達としてしか思われていないから、だからそんな無防備な姿で、 俺に近づけるんだ。

「和馬くんってさ、私のこと嫌いなの?」

疑うことを知らない無垢な瞳が、俺だけをじっと見つめる。

心配の色に陰るその表情に引き寄せられたのか、 俺の手は自然とその頬に伸ばされていった。


なにをどうやって伝えれば、この気持ちがお前にちゃんと届くのか。

その柔らかな髪も、花のような笑顔も、手を伸ばせば触れられる。

抱き寄せれば、あいつのぬくもりだって感じられる。

だけど今この瞬間の愛おしさは、どんなに言葉を積み重ねても、 伝えることなんてできやしない。

「和馬くん?」

不思議そうに見上げてくる黒目がちな瞳。

触れた頬に、夕日の朱が差す。

赤いベールに包まれて、すべてのものがひどく幻想的に見えた。

なにもかもが不安定に歪んでいて、 だけどあいつの温もりだけは変わらずに俺の心を満たしている。

指先に伝わる以上の温もりを求めて、 俺はあいつの唇に自分のそれを重ね合わせていた。


先の見えない暗闇の中で、救いを求めた俺に与えられたのは、 残酷なまでのリアルな感覚。

その温もりに酔いしれながら、それと同時に、 確かにあったはずの微妙なラインが音を立てて崩れ落ちていった。


唇を離すと、あいつはぼうっと俺を見上げたまま放心していた。

上気した頬と、少しうつろな瞳に誘われて、俺はあいつの髪に触れる。

しかし唇を当てる前に、それはするりと俺の手から逃げていった。

「こんなの、ずるい……」

一定の距離を保って、あいつは大きく息を吐き出してから、顔を上げた。

耳まで真っ赤になりながら、触れた唇に手を押しつけて、恨めしそうに俺を見つめる。

「ずるいって、なにが」

「だって、私の問いに答えてない」

ともすれば聞き逃してしまいそうなほどの小さな声で、抗議の言葉を突きつけてくる。

もごもごと口ごもりながら、そんな無粋なことを言うあいつが、 どうしようもなく愛おしかった。

「今のじゃ足りねぇってこと?」

「ちがっ! そうじゃな……きゃっ!」

強引にその手を掴んで引き寄せれば、小さな体はすっぽりとこの両の手の中に収まる。

あれほど欲しくて望んだ温もりが、今は自分の中にある。

少しでも長くそれを繋ぎ止めていられるのなら、 俺はもうなにを失っても良いとすら、思った。

「言葉なんか、いらねぇだろ」

目を丸くして驚くあいつに、俺は再び唇を重ねる。


欲しいものをただ指をくわえて見ているだけなんて、俺には到底できっこない。

奪われたボールを取り返すのに、いちいちルールになんか従っていられるか。

手に入らないのなら、力ずくでも奪い取ってやるのが、俺のやり方だ。


唇を割って、舌を滑り込ませる。

びくりと反応する小さな体を抱き寄せて、さらに深く口づけた。

苦しそうにこぼれる吐息さえ、甘美なささやきにしか聞こえない。


間違っていることぐらい、分かっている。

だけど今この瞬間だけでも、あいつが俺のものになるのなら、 どんな大罪を犯しても良いと思った。

たとえどんな罰が下されても、今俺が欲しいのは、あいつの温もりだけなのだから。

〜 Fin 〜

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