思い浮かべるのは、ぽわんとした優しい笑顔。
いつだってすべてを包み込み、私の心を癒してくれる。
だからつい甘えてしまうのだ。
その笑顔の裏側に本当は何を隠しているのかさえも気づかずに。
* * *
突然降り出した雨に、雨宿り代わりに入った喫茶店。
どうやらみんな考えることは同じなようだ。
今日はいつにも増して人が多く、ざわついていて少しも落ち着かない。
そして降り続ける雨を眺めている太陽くんも、 やっぱりどこか落ち着かなかった。
「ねぇ、太陽くん。聞いてる?」
少し強い口調でそう告げると、太陽くんは慌てて窓から視線を外した。
「えっ、あ、あの。すみません」
予想通りの返答に、私はことさら大きなため息をつく。
もう何度目になるだろう、こんなやり取り。
さっきだって雨が降ってきたっていうのに、 いつまで経ってもぼんやりと濡れているんだもの。
今日はなんだかずっとうわの空。
まるで私と一緒にいるのがつまらない、とでも言うように。
――まさか、そんなはずないじゃない!
何度もそう言い聞かせてきたけれど、もう限界だった。
だって太陽くんはちっとも反省していない。
私が苛立ってるのが分かってて、 どうしてそんなにニコニコと笑っていられるのだろう。
いつもいつも私がその笑顔にだまされると思ってたら大間違いなんだから!
「もういいよ。私、帰る」
突然そんなことを言い出したから、 さすがの太陽くんも驚いたようにこっちを見上げる。
でもきっと笑ってるんだ。
たとえ私が怒ったって泣いたって、 いつもと変わらない笑顔で笑っているだけなんだ。
太陽くんの顔が見れなくて、見たらきっと泣いちゃいそうで、 私はそのまま席を立つ。
「あ、先輩。待ってください!」
私を引きとめようとして、太陽くんがとっさに腕を伸ばす。
その拍子にテーブルに置いてあったカバンが落ちて、 中身が全部床に散らばった。
「あ、すみません」
太陽くんが散らばった本をカバンに戻そうとして、やけに見覚えのあるそのタイトルに思わず声を上げた。
「ねぇ、その本って……」
「わぁ、見ないで下さいっ!」
そう言ってすぐに隠してしまったけれど、それはどれも入学試験問題集や参考書などだった。
だって、見間違えるわけがない。
一昨年私が実際に使っていたものばかりだったから。
「もしかして私と同じ大学を受験するの?」
「まさか、僕には無理ですよ。 昨日も氷室先生にかなり厳しいこと言われちゃいましたし」
そう言ってニコニコと笑うけれど、無理しているのがすぐに分かった。
こうやって太陽くんをちゃんと見ていればそれが本当の笑顔なのか、 それとも無理して笑っているのかなんて簡単に見抜けるものなのに。
私はいつもいつも自分のことばかりで、太陽くんのことをちっとも見ていなかったんだ。
いつもと変わらない笑顔の裏側で、こんなにたくさん無理をしていたのに。
「私と同じ大学に行けたって、一緒に通えるのはたったの二年だよ」
懐かしい参考書を拾い上げると、そのまま太陽くんに手渡してあげる。
だけどそれを受け取る太陽くんの笑顔は、まぶしいぐらいにキラキラと輝いて見えた。
「先輩にとってはたったの二年かもしれませんけど、 僕にしてみたら二年も一緒に通えるんです。そのためならどんなことだって頑張ります」
しかし少しの間をおいて、太陽くんは困ったように微笑み出した。
「でも今の僕の成績じゃ努力しても受かる保障なんてありませんけどね」
笑っているからって、どうしてなにも考えてないなんて思ってしまったんだろう。
私と一緒にいてもうわの空になってしまうぐらい思い悩んでいたっていうのに。
そしてそれを悟られないように、いつも笑ってくれていたなんて。
「勉強教えてあげようか。私が受験の時に使ってたノートとか貸してあげるよ」
「そんな、ダメです。先輩もレポートとか忙しいですから、 僕のことでご迷惑をかけるわけには……」
「……私だって」
太陽くんの言葉をさえぎって、私は今の気持ちをまっすぐに伝える。
太陽くんがいつも私にそうしてくれるように。
「私だってたったの二年でも、太陽くんと一緒に通いたいんだよ」
「先輩……」
私を見上げる太陽くんの笑顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
あまりに素直に喜ばれてしまって、見ている私の方が恥ずかしいぐらいだった。
散らばった本を強引にカバンにしまい終えると、私は力強く太陽くんの手を掴む。
「そうと決まったら、これからはビシバシいくよ。覚悟してね!」
「はい、ありがとうございます」
とろけそうになるぐらいに甘い笑みで、太陽くんがにっこりと微笑んだ。
〜 Fin 〜