今日は朝からついてなかった。
朝練がなかったから良かったようなものの、 目覚ましを二個もセットしていたのに寝坊した。
朝食抜きで家を飛び出したら、運悪く厄介な人物に声をかけられた。
なんだか分からないうちにそいつを自転車に乗せていくことになって、 だけどやたらとベタベタ触ってくるから思わずハンドルを切り損ねて。
――見事に自転車から転落。
ヒジに作っちまった真新しい傷が、少しだけ痛む。
俺の視線に気がついたのか、薬箱を取る手を止めると、 あいつはにっこりと笑顔を向けてきた。
俺はぶっきらぼうに、早くしろよな、 と急かす言葉をこぼして、すぐさま視線をそらす。
今朝は職員会議があるとかで、保健室は空だった。
息が詰まりそうな二人だけの空間で、 あいつは言われたとおりに薬箱を持って、俺の隣に腰掛けてきた。
手際よく消毒液を取り出して、それを傷口にあてがう。
「ちょっとしみるかもしれないけど、我慢してね」
おいおい、俺は小学生のガキかよ、と悪態つきたいところだったが、 正直ちっとばかりしみた。
なにも言ってねぇのに、あいつは俺の顔を見て、くすくすと笑う。
――うるせぇんだよ、バカ。痛いもんは痛いんだ。
ふくれてそっぽを向いているうちに、あいつはヒジの傷にバンソーコーを貼りつけた。
「うん、これでもう大丈夫」
嬉しそうにそう言うと、安心したのかホッと息をついている。
こんなの放っておけば良いと言う俺を強引に引っぱってきて、 手当てすると言って聞かなかったんだから、やっぱり心配してくれていたらしい。
そう思ったら妙にくすぐったくて、沈黙がやけに長く感じた。
慣れない雰囲気に焦りを感じてとっさに口を開く。
「だいたいよ、同じ自転車に乗ってたのに、 なんでお前は無傷なんだよ」
「私も一緒に怪我した方が良かったかな」
嫌味で言ったつもりじゃねぇのに、あいつは途端に表情を曇らせる。
普段は跳ねっ返りでなに言われたって笑って聞き流すくせに、 たまにバカ正直に受け取ることがあるんだよな、こいつ。
「んなこと言ってねぇだろ。 なんだ、その……。怪我させなくて良かったって、思ってる」
「和馬くんは優しいね。――あっ!」
なにかに気づいたのか、 あいつはハンカチを取り出すとそのまま俺の方に体を寄せてきた。
突然の行動に心臓がどきりと跳ね上がる。
「なんだよ、バカ。あんま近づくんじゃねぇよ」
「え、あ……、うん」
俺の言葉に、あいつはぱたりとその動きを止める。
「あの、制服が汚れていたから。……ごめん」
そう言われて見てみれば、確かに制服の裾が汚れていた。
なに焦ってんだよ、俺。なんかすげぇカッコわりぃ。
かといって、素直に謝ることもできず、 俺は裾の汚れを両手で乱暴に振り払った。
「これぐらい気にしねぇよ。 お前もさっさと片付けて教室戻れ」
「和馬くん!」
そのまま保健室を出ていこうとしたところで、 あいつが俺の名を呼んだ。
振り返ったのとほぼ同時になにかが飛んできて、 とっさにそれをキャッチする。
見るとそれはコンビニの袋で、中には菓子パンと牛乳が入っていた。
「どうせ朝ご飯抜いてきたんでしょう。 ちゃんと食べないと大きくなれないよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、あいつが母親みたいなことを口にする。
なにも言ってねぇのに、なんでこいつは俺のことが分かるんだ。
しかも、大きくなれないってのはなんだ。
身長のこと気にしてんの、知ってるくせに。
「うるせー、余計なお世話だ」
小突いてやろうとあいつの頭に手を伸ばしたが、 なにも掴めないまま空を切るだけだった。
「はいはい。一緒に教室に戻ろうね」
いつの間に薬箱を片付けていたのか、 あいつは呆然と立ち尽くす俺の脇を通り過ぎると、 さっさと保健室から出ていってしまう。
――まったく、こいつといると調子狂うぜ。
ため息をついて頭を掻くと、 俺はあいつの背中を追って、保健室を後にした。
〜 Fin 〜
***
前の作品からの続きのお話です。